御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

上野殿御返事 1577頁 (新・1922頁) 60歳御作

別名を「法華経難信の事」といいます。

 

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上野殿御返事(法華経難信の事)

 弘安4年(ʼ81)3月18日 60歳 南条時光

 蹲鴟(いも)一俵、いただきました。またこうぬし(神主)のもとにいる御乳塩(の馬)一匹、ならびに口付き一人がいる。
 さては故五郎殿のことは、そのなげきふりずとおもえども(その嘆きは薄れないとは思うけれども)、御げんざん(見参)ははるかなるようにこそおぼえ候え(遠い昔の事のように感じられる)。
 なおもなおも法華経をあだむことは絶えたとも思えないので、これからのちも何事かあるであろうけれども、いままで堪えてこられたことは、本当とは思えないほどである。
 仏説いて言われるには、火に入って焼けない者はあっても、大水に入って濡れないものはいても、大山は空へ飛んでも、大海は天へあがっても、末代悪世に入れば、少しの間も法華経は信じがたいことなのである」。
 徽宗(きそう)皇帝は漢土の君主であったが。蒙古国に捕らえられてしまった。隠岐法皇は日本国の君主であったが、右京権大夫(北条義時)殿にせめられて、島で亡くなられた。
 法華経のゆえでさえあったならば、即身に仏にもなられたであろう。わずかのことには身をやぶり命をすつれども、法華経のために不当な罪科にあおうと思う人はいないものだ。あなたは身で心みたのであろう。尊いことである。尊いことである。恐々謹言。
  弘安四年三月十八日    日蓮 花押
 上野殿御返事