御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

別当御房御返事  全集901頁  新版1204頁

年代、場所は不明。

建治3年(1277年)の著わされたと推測されるようです。

別当御房とは清澄寺の住職をさすと思われ、報恩抄送状に「清澄御房」とあって、道善房亡き後は浄顕房が清澄寺を取り仕切っていたようなので、別当御房とは浄顕房であろうと推定されています。

 

〈現代語訳で載せておきます〉

聖密房の手紙に詳しく書いておいたから、寄りあって聴聞するがよい。二間寺、清澄寺のことは、何事も聖密房にお話しするがよい。聖密房が世間の道理をよくわきまえた者だからこのようにいうのです。

私に対する(お礼の品などの)心配りのことなど、夢にも思ってはいない。どれほどの手当であるべきかを気にせず、ただ名ばかりのことでよいのです。

また、わせいつを(早稲米のことか?不明)のことは、おそれいっている。わずかのことについてご迷惑であろうかとかえって嘆いているが、日蓮が恩を知っていたことをお知らせするためである。【清澄寺の僧侶が身延の大聖人のところへ学問修行しに来ていたことへの謝礼や持ってきた米に対してお礼を言われていると思われます】

大いなる名声を計るものは小さな恥にとらわれないと言って、南無妙法蓮華経の七字を日本国に弘め、震旦・高麗にまでも弘めようとする大願を懐いているが、その願いを満たすべき前兆であろうか。大蒙古国からの国書がたびたびあって、日本の国のすべての人の大きな嘆きになっているとみえる。日蓮は以前からこの他国侵逼難があると考えていた。予言の的中は閻浮提第一の高名である。

しかし、これまで人々は日蓮を憎んでいるので、継子の功名のように心から用いることはないが、ついに身の嘆きが極まった時には、邪義に執着している人々も必ず悔い改めると思われる。これほどの大事を嘆いているものが、二間・清澄寺のような小さな問題のことを強く言うであろうか。

ただし、今日蓮が心に願うことは生まれた土地のことである。日本の国よりも大切に思っている。たとえば漢の高祖を劉邦が沛郡(はいぐん)を重く見られたようなものである、それは、沛郡が、高祖の生地だったからである。

 聖人智人の跡は、将来中心地となるのが、通例であり、このことによって知られるがよい。清澄寺が日本国の寺々の主ともなるであろう。

日蓮は閻浮提第一の法華経の行者である。これは天が与えられた理(ことわり)なのである。

米一斗六升、粟(あわ)二升、焼き米は袋へいただき、そればかりでなく、人々の御志は申し尽くしがたい。心に痛み入る思いである。これから後は、心苦しく思ってはならない。人々にはお話ししないように、また人々にくれぐれもよろしく伝えてください。

   乃 時

   別当御房御返事

 

<語句>

 乃時(ないじ):すぐその時、即時。即刻。手紙が到着すると同時に返事を書いた時に用いる語。

 

<感想>

二間・清澄寺の件というのは、地頭の東条景信が両寺を念仏の寺にしようと画策していたことを指すと思われます。

 

大聖人は「世界一の法華経の行者であり、天から与えられた理である」と言われています。大聖人有縁の清澄寺が「日本国の山寺の主」となってもおかしくないと。

御供養の品々に対するお礼を述べられていますが、このような心配は無用であるとも言われています。

 

すごすぎて何も言えないです。