弘安元年(1278年)4月、日蓮大聖人が57歳の時、身延で著され安房・清澄寺の浄顕房と義浄房に送られた御消息が「華果成就御書」です。
この年は旧師・道善房の三回忌に当たっており、おそらく大聖人は旧師の三回忌を営まれ、その際に浄顕房と義浄房にあてて本抄をしたためられたものと思われます。
道善房が死去された際に大聖人が著された「報恩抄」を、清澄寺の嵩(かさ)が森(墓前)で読んだことを喜ばれ、「日蓮・法華経の行者となって善悪につけて日蓮房・日蓮房とうたわるる此の御恩さながら故師匠道善房の故にあらずや」と師の恩をたたえ、道善房を地涌の菩薩の上首の安立行菩薩の出現かとされ、「日蓮が法華経を弘むる功徳は必ず道善房の身に帰すべし」と師弟の深き縁を明かされています。
そして、二人が常に語り合い、信心を励ましあってともに成仏を目指すよう教え、法華経の文を引いて衆生を化導するよう諭されています。 (日蓮大聖人の「御書」をよむ)
〈講義録を参考にして、お手紙の通解を載せておきます〉
その後は一向にご様子もうかがわないけれど、お変わりありませんか。
去る健治の頃、道善房聖人のために報恩抄上下二巻を書いて送って差し上げたのを、嵩(かさ)が森で読まれたとのこと、悦(よろこ)んでおります。
たとえば根が深ければ枝葉は枯れず、源に水があれば流れは涸(か)れることはない。火は薪(たきぎ)がなくなれば消える。草木は大地がなければ生長することができない。日蓮が法華経の行者となって善悪につけて日蓮房・日蓮房と呼ばれるようになったことは、この御恩は全く故師匠の、道善房のおかげである。例えば日蓮は草木のようであり、師匠の道善御房は草木を育む大地のようなものである。
法華経従地湧出品で出現された地湧の菩薩に四人の上首がいる。経には「第一を上行菩薩と名付け、第四を安立行菩薩と名付く」と説かれている。末法の世に上行菩薩が出られるならば、安立行菩薩も出現されるはずであろう。
稲は花を咲かせ、果を成らせても、米の精は必ず大事に還る。故に一度刈り取った後に芽が出て再び花や果を結ぶのである。日蓮が南無妙法蓮華経を弘める功徳は、必ず道善房の身に帰るであろう。まことに貴いことである。
よい弟子を持てば師弟はともに成仏をし、悪い弟子を養えば師弟ともに地獄に堕ちると言われている。師匠と弟子の心が違えば何事も成就することはできない。くわしくはそのうちに申し上げる。
常に語り合って、生死を離れ、同心に霊山浄土に行ってうなずき合って話されるがよい。法華経五百弟子受記品第八には「衆生に貪瞋癡の三毒がえることを見せ、また邪見の相を現ずる、我が弟子はこのように方便をもって衆生を救済する」ととかれている。前々に申し上げたとおり、よく心得ていきなさい。穴賢穴賢。
<講義より> (333頁)
三毒強盛な欠点多い同じ人間として生きつつ、そこから仏道に入っていく姿を示すことにより、衆生を教化することができるのである。人々にこの仏道を教えるためには、自ら進んで泥沼の中へ入り、その中から清浄な花を咲かせる姿を示さなければならないのである。
我々が、邪宗の家に生まれ、三毒強盛の悪人として生を受けたのも、仏の弟子の一分として衆生を化するためであると教えていると同時に、日常生活にあっても自ら求めて困難の中へ、また泥沼の中へ分け入っていく勇気がなくてはならないことを説いているようである。
大聖人は兄弟子だった二人に対し、謗法の真っ只中に住むからこそ、それに流されることのないよう、いよいよ信心を強盛に持つべきことを教えられている。