御書大好き!!

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御義口伝 薬草喩品 第三 全729 新 1017

第三 「雖一地所生、一雨所潤(すいいちじしょしょう、いちうしょにん)=(一地の所生、一雨の所潤なりといえども)」等の事


  御義口伝に云わく、この文から随縁・不変ということが起こるのである。妙楽大師が言うには「随縁・不変の説は大教(=一往は法華経)より出で、木石無心(木や石などの非情の世界には生命がない、仏性がないと考える思想)の言は小宗(爾前経)より生ず」。この「大教」とは、一経の総体(法華経全体)を指すのではなく、この「雖一地所生」等の十七字を指しているのである。
  「一地所生、一雨所潤」は物事の無差別面を譬えたのであり、「而諸草木各有差別(しかも諸の草木に各差別有り)」は物事に差別があることの譬えである。無差別譬の故に妙なり。有差別譬の故に法なり云々。

今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、有差別を差し置くのであり、二十八品は有差別であり、妙法の五字は無差別である。
  「一地」とは、迹門の大地である。「一雨」とは、本門の義天である。「一地」とは従因至果、「一雨」とは従果向因を意味しているのである。末法に至って従果向因の「一雨」(すなわち南無妙法蓮華経)を弘通しているのである。

「一雨」とは、題目にほかの余計なものを少しも混ぜないということである。(釈尊は)序品の時は「雨大法雨(大法の雨を雨らす)」と説き、この品(薬草喩品)の時は「一雨所潤」と説いている。「一雨所潤」は、序品の「雨大法雨」を重ねて仏説かれたのである。「一地」とは、五字の中の「経」の一字なり。「一雨」とは、五字の中の「妙」の一字である。「法蓮華」の三字は、三千・万法、とりわけ草木である。

三乗(声聞・縁覚・菩薩)・五乗(三乗と人・天)・七方便(蔵教の声聞・縁覚・菩薩と通教の声聞・縁覚・菩薩と別教の菩薩)・九法界である。

 

<講義より>

「一雨所潤」とは題目をあげていくことである。

薬草喩品に「等しく法雨をふらして」とあるように、病気、貧困、家庭不和などどんな悩みがあろうとも御本尊を信じ、題目をあげることによって、すべての悩みは解決できるということを意味しているのである。これ、御本尊の、無差別、平等の慈悲である。

また、一雨とは十界の言語、音声の振る舞いのすべてである。中でも言語、音声をもって折伏していくのは同じく一雨所潤である。この折伏の法雨は、地獄の衆生、餓鬼の衆生等、あらゆる境涯の人々に降り注ぐのである。ゆえに折伏は相手の地位や境遇の如何を選ぶことなく、すべての人に対して折伏していけるのである。

 

<感想>

「一地」とは、五字の中の「経」の一字なり。「一雨」とは、五字の中の「妙」の一字である。「法蓮華」の三字は、三千・万法、とりわけ草木である。

三乗(声聞・縁覚・菩薩)・五乗(三乗と人・天)・七方便(蔵教の声聞・縁覚・菩薩と通教の声聞・縁覚・菩薩と別教の菩薩)・九法界である。

という最後のところが講義にも書かれてなかったので、私はよくわからなかったです。