御書大好き!!

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薬草喩品 第四 全729頁 新1018頁

第四 「破有法王 出現世間(有を破する法王は、世間に出現す)」の事

 薬草喩品に「有を破する法王、世間に出現して、衆生の欲に随いて、種々に法を説く」とある。ここの御義口伝です。


  御義口伝に云わく、「有(う)」とは、謗法の者なり。「破(は)」とは、折伏することである。「法王」とは、法華経の行者である。「世間」とは、日本国のことである。また云わく、「破」は空、「有」は仮、「法王」は中道で三諦を意味しているのである。それゆえ、この文を釈迦如来の種子(成仏の種)と伝えている。総じて、三世の諸仏が世に出現したのは、この文に依るのである。

「有(見えないものも含めて存在する全てのものを指す)」とは、三界(欲界・色界・無色界)二十五有なり。「破」とは、有に対する執着を破折するのである。「法王」とは、十界の衆生の心法である。「王」とは、心法をいうのである。諸法実相と開くのを、「破有法王」と言うのである。

 今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱えることは、謗法の執着を断じて釈迦法王と成る(成仏の境涯になる)ということである。「破有」の二字をもって、釈迦如来の種子(成仏の種)というのである。
  また云わく、「有」と云うは、我らの煩悩・生死(生老病死の苦しみ)である。この煩悩・生死を捨てて、別に菩提・涅槃があるというのは、権教・権門の心(結論)である。

今経(法華経)の心は、煩悩・生死をそのまま菩提・涅槃と開くところを「破」というのである。「有」とは煩悩、「破」とは南無妙法蓮華経なり。「有」は所破なり(破られるもの)、「破」は能破(破るもの)である。能破・所破共に実相の一理なり。序品の時は「尽諸有結(諸の有結を尽くして)」と説き、この品には「破有法王」と説き、譬喩品の時は「皆是我有(皆これ我が有なり)」と宣べたり云々。