文永8年10月5日、日蓮大聖人が50歳の時、相模依智で著され、太田左衛門尉・曾屋教信・金原法橋の三人に与えられた御消息です。同年9月12日の竜の口法難の後、依智の本間邸に入られた大聖人を三人がお見舞いしたことに対する御返事です。
涅槃経に説かれる転重軽受の法門について、過去世の謗法によって未来に地獄の苦を受けなければならないのを、法華経を持って難にあうことによって軽く受けて消すことであるとされ、不軽菩薩や付法蔵の人々の例を引いて、仏の教えの通りに修行することの難しさを述べられています。
特に末法に法華経を身で読んでいるのは日蓮一人であると明かし、「今日蓮・法華経一部よみて候、一句一偈になお受記をかほれり、いかにいわんや一部をやと、いよいよたのもし」と仰せになっています。
転重軽受法門 文永八年十月 五十歳御作
与大田左衛門・曾谷入道・金原法橋
修利槃特(すりはんどく)というのは兄弟二人のことである。一人もいたならば・すりはんどくというのです。あなたたち三人は又彼らのようである。一人でも来られたら三人がいると思っています。
涅槃経に転重軽受と申す法門があります。過去世の宿業が重く今生に尽きることなくて、未来に地獄の苦を受けるところが、現世にこのような重い苦しみにあうことによって、地獄の苦みがぱっと消え、もし死んだならば、人界・天界・(声聞・縁覚・菩薩の)三乗・一仏乗の利益を得ることがある。
不軽菩薩が悪口罵詈せられ、杖木で打たれ、瓦礫を投げられたのも理由がないわけではない。過去の誹謗正法のためであると思われる。「その罪、畢(お)えおわって」と説かれているのは、不軽菩薩が難にあう故に、過去の罪が滅すると見える。是が一つ。
又付法蔵の二十五人は仏を除いては皆仏が前もって記されていた権者【仏・菩薩が衆生救済のために仮の姿をもって娑婆世界にあらわれた存在】である。
その中に第十四番目の提婆菩薩は外道に殺され、第二十五番目の師子尊者は檀弥栗王(だんみりおう)に頸を刎られ、その外、仏陀密多・竜樹菩薩なども多くの難にあった。又難なくて王法に御帰依が厚くて法を弘めた人もいた。これは世に悪国と善国が有り、法に摂受・折伏がある故かと思われる。正像時代はこのようであり、中国もまたそうである。日本は辺土である。末法の始めでもある。このような大難はあるだろうとは前から思い定めていた。その時期をこそ待っていたのである。是が二、
この上(かみ)の法門(転重軽受の故に難にあうとの法門)は昔に教えておいた。珍しいことではない。円教の六即の位に観行即というのは「所行如所言・所言如所行」(行ずる所は言う所の如く、言うところは行ずる所の如し)とある。それ以下の理即名字の人は、法華円教を信ずる人であるけれども言葉のみあって、まことである事は難しい。たとえば、外典の三墳五典は読む人は数がわからないほど多い。
彼のように世を治め、振舞うことは千万が一つにもできないほど難しい。だから世が治まる事も又難しい。法華経を紙に書き熱心に音をあげて読むけれども、その経文の通りにふるまうことは難しいであろう。
譬喩品にはこう書かれている。「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん」
法師品にはこうある。「如来現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」
勧持品にはこうある。「刀杖を加え、中略、しばしば追放せられるであろう」
安楽行品にはこうある。「一切世間怨多くして信じるのが難しい」と。
これらは経文に説かれているが、いつの世にそのような難が起こるのかはわからない。
過去の不軽菩薩・覚徳比丘などは、身に当たって読まれたと思われる。
正像二千年はしばらく置くとして、現在は、末法に入って、この日本国には今の時には日蓮一人だけであると思われる。昔の悪王の時、多くの聖僧が難に遭ったのに対しては、又所従・眷属等・弟子檀那等が、どれほど嘆いたことかと、私の今の境遇から推しはかられる。
今、日蓮は法華経一部を読んだ。一句一偈を身をもって読むことでさえ、仏から受記を受けられる。ましてや、法華経一部を読んだ場合はなおさらである。ますます頼もしいことである。ただ、身の程知らずにも、国土まで安穏にしたいと思ったが、日蓮を用いることがない今の世であるから、力が及ばなかった。これ以上は多くなるので筆を置くことにする。
文永八年辛未十月五日 日 蓮花押
大田左衛門尉殿
蘇谷入道殿
金原法橋御房
御返事
転重軽受法門という言葉はよく言ったり聞いたりしますが、この御書をそっくりそのまま読んだ方はあまりいないかもしれません。是非一度読まれたらいいと思い現代文で載せました。この講義本は新しいですね。平成13年発行となっていました。
#講義録18巻