御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝 薬草喩品の事  全集728頁  新版1016頁

薬草喩品五箇の大事
第一 「薬草喩品」の事

 

まずは御書全集:

記の七に云く無始の性徳は地の如く大乗の心を発するは種の如し二乗の心を発するは草木の芽茎の如し今初住に入るは同じく仏乗の芽茎等を成ずるが如しと。
御義口伝に云く法華の心を信ずるは種なり諸法実相の内証に入れば仏果を成ずるなり、薬とは九界の衆生の心法なり其の故は権教の心は毒草なり法華に値いぬれば三毒の煩悩の心地を三身果満の種なりと開覚するを薬とは云うなり、今日蓮等の類い妙法の薬を煩悩の草に受くるなり煩悩即菩提生死即涅槃と覚らしむるを喩とは云うなり、釈に云く「喩とは暁訓なり」と薬草喩とは我等行者の事なり。

 

新版:全集に句読点が入ると読みやすいですね。今回は両方載せてみました。現代語にかえてあるところもあります。


 記の七に云わく「無始の性徳【=無始無終の永遠の生命に本来具わっている仏界の事】は地(大地)のようであり、大乗(法華経)の心を発す(=信ずること)は種のごとし【成仏の本源の因であるがゆえに種という】。二乗(声聞・縁覚)の心を発すは草木の芽や茎のようなものである。今、初住に入るは、仏乗の芽茎等を成ずるようなものである」。
  御義口伝に云わく、法華の心(御本尊)を信ずることは種を植えたことである。諸法実相の内証に入れば仏果を成ずるなり(成仏の境涯となる)。「薬」とは、九界の衆生の心法なり。その故は、権教を信ずる心は毒草に譬えられるが、法華(御本尊)に値お会いすれば、三毒の煩悩の心が法報応の三身を具えた果満(仏果円満=成仏の境涯)の種なりと開覚するのを、「薬」というのである。今、日蓮等の類い、妙法の「薬」を煩悩の「草(心)」に受けているのである。煩悩即菩提・生死即涅槃と覚らしむるを、「喩」とは云うなり。釈に云わく「『喩』とは、暁訓(教え諭すこと)なり」。「薬草喩」とは、我ら行者のことなのである。