御書大好き!!

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第八 「唯有一門(ただ一門のみ有り)」の事  724頁  新版1010頁

第八 「唯有一門(ゆいういちもん)=ただ一門のみ有り)」の事
  文句の五に云わく「『唯有一門』とは、上の『以種々法門 宣示於仏道(種々の法門をもって、仏道を宣示す)』を譬えている。『門』にまた二つあり。宅門と車門となり。宅とは、生死なり。門とは、出要の路なり。【宅とは生死→苦悩の生活を意味し、宅門とは、その生活から出る要路を意味する。】これは方便教の詮なり(究極である)。車とは、大乗の法をいい、車門とは、円教の詮(究極)を意味する」。


  御義口伝に云わく、「一門」とは、法華経の信心なり。「車」とは、法華経なり。「牛」とは、南無妙法蓮華経なり。「宅」とは、煩悩なり。自身法性の大地(=成仏という永遠の生命を覚知した絶対の幸福境涯)を、生死生死と転(めぐ)り行くなり(永遠の幸福境涯の上に立って、いっさいの生活をしていくこと)云々。

 

<講義より>

自身法性の大地を、生死生死と転り行くなり

この御文は生命の永遠を説いておられる。誰人が否定しようが、疑おうが、生命の永遠は厳然たる事実なりと示されている。無始無終に三身常住するのが生命の本質である。

幸福というものは絶対に自分自身で築いていくものであって、人から与えられるものではない。(中略)全部自分自身の力、自分自身の智慧、自分自身の福運、それが第一義の問題となるのである。自分自身が最高度に自体顕照して、悠々と力強く戦い生きていける本源力は、南無妙法蓮華経の御本尊しかないということである。それが、「自身法性の大地」という意味である。