御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝  五百弟子品三箇の大事  第一 第二 全734頁 新1024頁

新版御書だけ載せます。

五百弟子品三箇の大事
第一 「衣裏(えり=衣の裏)」の事
  御義口伝に云わく、この品には無価の宝珠を衣の裏に繫(か)くることを説くなり。詮ずるところ、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、一乗妙法の智宝(御本尊)を信受するなり。信心をもって衣の裏にかくと云うなり。

(有名な衣裏珠の譬えのところですね。説明は省きます。)

 


第二 「酔酒而臥(すいしゅにが=酒に酔って臥す)」の事
  御義口伝に云わく、「酒」とは、無明(迷い)であり、迷いの結果、謗法を犯している状態である。「臥」とは、(酒に酔って臥しているとは)謗法の家に生まれることを譬えているのである。

(迹門の意は、釈迦仏法の衆生は、)三千塵点の当初に悪縁の酒を吞んで、五道・六道に酔い廻って、今、謗法の家に臥したり(生まれたというのである)。「酔」とは不信であり、「覚」とは信ずることである。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、無明・謗法の酔いが醒めたといえるのである。
  また云わく、「酒」に段階がある。権教は酒、法華経は醒めたり。本迹相対する時、迹門は酒なり、始覚の故なり。本門は醒めている。本覚の故なり(久遠実成五百塵点劫の成道を説いているからである)。また(文上の)本迹二門は酒であり、酔っている状態である。(文底の)南無妙法蓮華経は醒めている状態である。酒と醒むるとは相離れざるなり。酒は無明なり、醒むるは法性なり。法は酒なり、妙は醒めたり。妙法と唱うれば無明・法性体一なり。摩訶止観の一にこうある。「無明・塵労は、即ちこれ菩提なり」。(無明とは元品の無明惑、塵労とは貪瞋痴の三毒、したがって、無明塵労とは煩悩のことであり、天台は煩悩即菩提ということを言っているのである。)