御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝 宝塔品二十箇の大事 第八~第九 新1033

<説明>仏が白毫の光を東方に放ち、また南西北方、四方、十方を照らすのである。宝塔品には、「南西北方、思惟上下、白毫相の光の、所照のところもまたまた核のごとし」とある。その光の行くところ、いたるところで十方分身の諸仏が説法している姿がある、というところです。

 

第八 「南・西・北方・四維・上下」の事
  御義口伝に云わく、四方・四維・上下、合して十方なり。即ち十界なり。十界の衆生共に三毒の光これ有り。これを「白毫」と云うなり。一心中道の智慧なり(一念の信心より出ずる仏智である)。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、十界同時の光指すのである(功徳があらわれるということ)。諸法実相の光明に照らされるから功徳があるのである。

 

 

<説明>十方分身の諸仏が侍者を遣わして釈迦仏に挨拶するところである。


第九 「各齎宝華満掬(かくさいほうけまんきく=各宝華を齎ち掬に満つ)」の事


  御義口伝に云わく、「宝華」とは、合掌を意味するのである。また事の一念三千の南無妙法蓮華経をあらわしている。したがって宝華とは御本尊のことである。「各」とは、十界のことである。「満」の一字は欠けることのない、満ちている、という意味であるから、事の一念三千と心得べきである。今、日蓮等の類い(日蓮とその門下は)、南無妙法蓮華経と唱え奉るのは、仏に宝華を奉ることになる。宝華は即ち宝珠なり。宝珠は即ち一念三千(の南無妙法蓮華経、つまり御本尊のこと)である。「合掌以敬心 欲聞具足道(合掌し敬心をもって、具足の道を聞きたてまつらんと欲す)」、これなり云々(このことを指しているのである)。