第十六 「読持此経(この経を読み持つ)」の事
御義口伝に云わく、五種の修行の「読誦」と「受持」との二行なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、「読」なり。この経を持つは、「持」なり。「此経」とは、題目の五字なり云々。
<講義の抜粋及び感想>御本尊に向かって題目を唱えれば読であり、御本尊に向かわずに唱える場合は誦である。(略)心ならずも一回唱えた題目の功徳でさえ、計り知れないほど大きい。
なので、御本尊を命がけで守り、どんな人にも信心を教えていこう、折伏していこうという人は必ず仏の境涯になっている、と私は思います。
第十七 「是真仏子(これ真の仏子)」の事
御義口伝に云わく、法華経の行者は真に釈迦法王の御子なり。しかるあいだ、王位を継ぐべきなり。「悉是吾子(ことごとくこれ吾が子なり)」の「子」と、「是真仏子」の「子」と、能く能く心得合わすべきなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、釈迦法王(久遠元初の自受用報身如来=日蓮大聖人)の御子なり。