御書大好き!!

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御義口伝 提婆達多品 第八 全747頁 新1041頁

第八 「有一宝珠(一つの宝珠有り)」の事


  文句の八に云わく「一とは、珠を献じて円解を得ることを表す」。
  御義口伝に云わく、「一」とは、妙法蓮華経なり。「宝」とは、妙法の用なり。「珠」とは、妙法の体なり。妙の故に心法なり。法の故に色法なり。色法は「珠」なり、心法は「宝」なり。妙法とは色心不二なり。一念三千の所表として、竜女の宝珠を奉るなり。釈に「円解を得ることを表す」と云うは、一念三千なり。竜女が手に持てる時は、性得の(我が生命に具しているという理の上の)宝珠である。仏受け取り給う時は、修得の(実際に生命の上に具現した事の上の)宝珠である。その中に修性不二(修得と性得が不二)である。「甚疾(はなはだ疾し)」とは、頓極・頓速・頓証の法門なり。「則為疾得 無上仏道(則ちこれ疾く無上の仏道を得ん)」なり。
  「神力」とは、「神」は心法なり、「力」とは色法なり。※「観我成仏(我が成仏を観よ)」とは、舎利弗の竜女が成仏と思うは僻事(ひがごと)なり、我が成仏ぞと観よと責めたるなり。観に六即の観これ有り。ここでの観は、名字即の観と心得べきなり。その故は、南無妙法蓮華経と聞けるところを、「一念も道場に坐すれば、成仏虚しからざるなり」とあるように成仏だからである。「変成男子(変じて男子と成る)」とは、竜女も本地は南無妙法蓮華経なり。その意、経文に分明なり。

 

※「我が成仏を観よ」とは、舎利弗が、その成仏が竜女の成仏であると思うのは間違いであって、舎利弗自身の成仏であると観ぜよと竜女が責めた言葉です。