御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝 常不軽品 第九~第十 全765 新1066頁

第九 「言、是無智比丘(「この無智の比丘」と言う)」の事


  御義口伝に云わく、この文は法華経の明文である。上慢の四衆が、不軽菩薩を「無智比丘」と罵詈している。「凡有所見(およそ見るところ有る)」の菩薩を「無智」ということは、第六天の魔王の所為である。

末法に入って日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、「無智比丘」と謗ぜられることは、経文の明鏡である。「無智」をもって法華経の機と定めるのである。

 

現代において学会の悪口をいう輩は増上慢であり、その本質は第六天の魔王ということだ。そのことを予言された常不軽品第二十である。経文にある通り、私たちは少なからず、この信心をしたために、あるいは折伏をしようとしたために、文句を言われたり、悪口を言われたり、追い出されそうになったりしている。まさに経文に説かれた南無妙法蓮華経で成仏する機根のときがきたのである。

 


第十 「聞其所説、皆信伏随従(その所説を聞いて、皆信伏随従す)」の事


  御義口伝に云わく、「聞」とは、名字即の位である。所詮は、「而強毒之(しかも強いてこれを毒す)」の題目で救われるのである。「皆」とは、上慢の四衆等である。

「信伏随従」の「信」とは、「無疑曰信(疑いなきを信と曰う)」の信であることは明了である。「伏」とは、法華に帰伏することである。「随」とは、心を法華経に移すことである。「従」とは、身をこの経(御本尊)に移すことである。

詮ずるところ(所詮)、今、日蓮等の類い(日蓮とその門下)、南無妙法蓮華経と唱える行者が、末法の不軽菩薩であると言える。

 

<感想>

而強毒之、而強毒之、而強毒之、にごうどくし・・・呪文みたいに言うてますけど・・・・

もし折伏してる相手に拒まれたら而強毒之の題目をあげろと言うわけです。

「しかして、強(し)いてこれを毒す」

「もとより末法の世には無智の人に、機に叶ひ叶はざるを顧みず、ただ強いて法華経の五字の名号を説いて持たすべきなり」「毒鼓の縁」も言いますね。

反対されたって相手が一旦苦しんで、そのあと救われると思えば、折伏し続けていってあげるしかないのですね。

素直に入会した人って元々機根が整ってて、法華経に縁があった人なんでしょうね。私は入会までに数か月かかったかな~。

友は50年経っても未だ入会に至らず。私のせいじゃないよ~

入会してから、「あんたの折伏が弱かったんや」とかいうなよ、って思うわ。