御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝 寿量品 第四 如来~~~事 永遠の生命について  753頁 1050頁

死んでからの生命はどこに行くのか、宇宙に冥伏すると言われています。

今回はそのことを法華経の寿量品第四に詳しく口伝されているので、しっかり学びたいと思います。

 

先にこの段の要約をしておきます。

(前半の通解とほぼ同じ内容になります。)

信心の眼を開くならば、如来と言われる我ら何でもない凡夫の衆生は、永遠に続く生命の当体であると、ありのままの自分を知見していける、という御義口伝です。

三界の相というのは生老病死の四苦のこと。それが本有の生死であると見た時、御本尊を信じて永遠の生命を覚知していくならば、無有生死となるのである。

しかも、ただ生死がないだけではない。生死を見て厭離し、恐れるのを迷いといい、始覚というのである。(略)さて、本有の生死、すなわち永遠の生命の生死であると自覚することを悟りといい、また、自らの生命の本質を知った本覚であるといえるのである。

 

第四 「如来如実知見三界之(し)相、無有生死(如来如実に三界の相を知見するに、生死有ることなし)」の事
  

御義口伝に云わく、如来」とは、三界の衆生なり。この衆生寿量品の眼開けてみれば、十界本有と実のごとく知見せり「三界之相」とは、生老病死なり。本有の生死とみれば、「無有生死」なり。生死無ければ、退出も無し。ただ生死無きのみにあらざるなり。生死を見て厭離するを、迷いと云い、始覚と云うなり。さて、本有の生死と知見するを、悟りと云い、本覚と云うなり。今日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、本有の生死、本有の退出と開覚するなり。

また云わく、「無」も「有」も、「生」も「死」も、「若退(もしは退)」も「若出(もしは出)」も、「在世」も「滅後」も、ことごとく皆本有常住の振る舞いなり

「無」とは、法界(すなわち宇宙の森羅万象ことごとく)同時に妙法蓮華経の振る舞いより外は無きなり「有」とは、地獄は地獄のありのまま、十界本有(十界がもともと有る、具しているという意味)の妙法の全体なり。

「生」とは、妙法の生なれば、随縁(縁に触れて出てくる生のことです)なり。「死」とは、寿量の死なれば(これ、何かと思いましたが、永遠の生命の上での死ならばってこと)、【死んでいる時は冥伏しているので】法界では(生も死も)同時に真如(真実・ありのままの実体、=妙法)と言えるのである

「若退」の故に滅後(死)なり、「若出」の故に在世(生)なり。されば、「無」「死」「退」「滅」は(空・仮・中)の三諦から言えば)空(空諦)なり、「有」「生」「出」「在」は仮(仮諦)なり(生まれ出てくると形がありますから仮諦やし応身如来ともいえる)、「如来如実」は(ありのままに生命の実相をみていく如来如実は)中道なり。

これを無作三身如来の身に論ずるならば、「無」「死」「退」「滅」は無作の報身(如来)なり、「有」「生」「出」「在」は無作の応身(如来)なり、「如来如実」は無作の法身如来)(=生命そのもの)なり。

この三身は我が一身なり。「一身即三身を名づけて『秘』となす」とは、これなり。

三身即一身を名づけて『密』となす」もこの意なり。しかれば、無作の三身の当体蓮華の仏とは、日蓮が弟子檀那等なり。南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉るが故なり云々。

 

<講義から>

釈迦は死を方便現涅槃と説いた。死を生のための方便であるとした。

大聖人はさらに深く、本有の生死と説き、生も死も本来本有のものであり、生命の本質し具わる働きであると説かれたのである。あたかも舞台上にあらわれた時が生で部隊のそでにはけたときが死で、また、舞台上にあらわれるのが生で、という風に生死をくりかえすのである。(これ私が考えました)

 

仏は本当のことしか説きません。真実をありのままに見てそのまま伝えようとしてくれます。ところが仏説を人に説く人が勝手に我見を入れたり仏説を曲げたりしてしまうことがあるのですね。邪宗(最近は他宗というらしいけど、邪はじゃですよ)の寺で、生命は永遠だということをどういう風に教えてるんやろって思いました。

念仏唱えて死んだら西方極楽浄土にいくとか、全然永遠の生命とは違いますよね。西方に極楽浄土なんてあるはずないやん。今、西に行ったら戦争してますよ。そこは極楽ではないです。キリスト教の説く天国もないです。見上げれば宇宙しかない。満天の星空のどこに天国があるねん。仏教の説く「空」「仮」「中」の三諦の教えほど、理に適ったものはないです。ただ、証明するには難しい点もあるかもしれないけど、科学が追い付いたら証明できるようになるかもしれません。電波が見えなくても存在するように、死後の自分も見えないけど、宇宙に戻っていくのがわかるという。臨死体験もよく耳にしますが、信じていいもんかどうか悩みます。実際に体験した人はわかると思います。

千仏に手を取ってもらって空に上がっていくという御書もありましたね。

それ、体験したでっていう同志もいました。息を吹き返してこっちに戻ってこられたので聞けたけど、すごい!

ほんまかいなですけど。私は信じてます。

 

とても大事な内容の御義口伝でした。よく読んでいただきたいと思います。