御書大好き!!

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御義口伝 常不軽品 第十三~第十四 全766 新1067頁

第十三 「常不値仏、不聞法、不見僧(常に仏に値わず、法を聞かず、僧を見ず)」の事

 


 御義口伝に云わく、この文は、不軽菩薩を軽賤するが故に、三宝を拝見せざること二百億劫、地獄に堕ちて大苦悩を受けたと述べている。

今、末法に入って日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱える者を軽賤することは、彼に過ぎている。彼は千劫、これは「至無数劫(無数劫に至らん)」なのである。
  末法の「仏」とは、凡夫であり、凡夫僧である。「法」とは、題目のことである。「僧」とは、我ら行者のことである。仏とも云われ、また凡夫僧ともいわれるのである。「深く円理(=南無妙法蓮華経の御本尊)を覚る。これを名づけて仏となす」の故である。「円理」とは、南無妙法蓮華経である。

 


第十四 「畢是罪已、復遇常不軽菩薩(この罪を畢え已わって、また常不軽菩薩に遇う)」の事

 

【常不軽品第二十で、不軽を軽賤した四衆が、悔い改めて信伏随従したけれども、その罪によって千劫、無間地獄に堕ちた。これで罪障消滅し、再び不軽に遇って救われたことを説いて「是の罪をおえおわって、復常不軽菩薩の阿耨多羅三藐三菩提を教化するに遇いにき」と述べている文についての御義口伝である。】

 


  御義口伝に云わく、もし法華誹謗の失を改めて信伏随従しても、(その信心、行学が)浅いならば無間地獄に堕ちるであろう。先謗(先の誹謗の罪)が強いためである。千劫無間地獄に堕ちて、後に出てくる時期が来て、また日蓮にあうことができるのである。つまり復遇(ぶぐう)日蓮ということだ。