御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝 常不軽品 第二十九~第三十  全769 新1071頁

第二十九 法界は礼拝の住所の事


  御義口伝に云わく、法界に立って礼拝するのである。法界とは広いというのでもなく、狭いというのでもない。総じていうなら、法とは(十界三千の)諸法である。界とは境界(生命活動の場)である。

地獄界から仏界まで、各々界を法(のっと)るあいだ、不軽菩薩は不軽菩薩の界に法り、上慢の四衆は四衆の界に法るのである。

よって、法界が法界を礼拝するなり。自他不二の礼拝なり。=【不軽が四衆を礼拝するということは、不軽の法界が四衆の法界を礼拝するということであって、自他不二の礼拝である。】

 

その故は、不軽菩薩の四衆を礼拝すれば、上慢の四衆の具うるところの仏性もまた不軽菩薩を礼拝するのである。鏡に向かって礼拝をなす時、浮かべる影もまた我を礼拝するのと同じ原理である。

 

【ここの講義だけは全部載せたいので、次の回に書くことにします。ちょっと長いので。】

 

 

第三十 礼拝の住所は忍辱地の事


  御義口伝に云わく、既に、上慢の四衆、罵詈(めり)・瞋恚(しんに)をなして虚妄(こもう)の授記であると謗(そし)ったけれども、「不生瞋恚(瞋恚を生ぜず)」と説いていたので、忍辱地に住して礼拝の行を立てたことがわかる。
  【以上、十四箇の礼拝住所のうち】初めの一つの住所は、世流布(世間一般)の学者も知っている。後の十三箇所は、当世の学者も知らないことである。【甚深の法門である】
  已上、不軽菩薩の十四箇条の礼拝の住所(の御義口伝)である。

 

<講義より>折伏にあたってはどんなに相手が怒り、悪口をいい、罵ろうが悠々と笑みをたたえて、破折し、妙法を教えきっていくのでなければならない。

 

<感想>常不軽品を通して、我々が如来の使いとして折伏していく態度は、柔和忍辱衣を着て行うというのが正しいということです。

たまーーに、信心しなかったら地獄に堕ちるぞ、なんて脅迫してみたり(そんな人は今時いませんよね)、罰論でやっつけようとしたり(昔の折伏はそうだったみたい)、捨て台詞を吐いたり(近所のおじいさん、親戚に言われたそうです、昔ね)と、間違った折伏をなさる人がいたら、それは間違いですと不軽菩薩さんに怒られる、ということです。

太陽が北風に勝ったように、温かく包み込んで、相手の冷えた心を温めて、偏見があれば、それが間違いだとちゃんと指摘してあげて、こちらの正義がわかるまで気長に折伏してあげるのがいいと思いますね。

 

長かったですが、常不軽品三十箇の大事は今回でおしまいです。なお第二十九の講義は次回載せます。