御書大好き!!

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御義口伝 常不軽品 第二十九 講義のみ

御義口伝講義より 常不軽品三十箇の大事

 第二十九「法界礼拝住処の事」 

 

  <講義>

 法界を理解するためには電波に例えてみるとわかりやすい。例えば、この同じ部屋の中の、同じ空間に、同時に国内のあらゆる放送の電波もあれば、世界各国から放送された、電波もある。はるか宇宙の彼方からの人工衛星の電波もあるはずである、そのあらゆる種類の電波を数え上げれば、その数は大変なものであろう。

しかも、それは、どの電波はこの部屋の中のどこに、どれだけの空間をとって存在するというのではない。故に、「広きにあらず、狭きにあらず」である。

そして、「地獄乃至仏界各各界を法る間、不軽菩薩は不軽菩薩の界に法り、上漫の四衆は四衆の界に法る」とは、今ここに置かれたラジオがNHKの放送を伝えているとすれば、それはこのラジオが空間に遍満しているNHKの電波に法(のっと)っているということである。すぐ隣に、BBC放送の音楽を奏でているラジオがあれば、それは、BBC放送の電波に乗っとっていることになる。

 

これと同じように、不軽菩薩が礼拝を行じて、不軽菩薩の振舞いであるということは、不軽菩薩という法界に法っているのである。

その法界とは、即、大宇宙に遍満する、宇宙生命の一つの波長なのである。

 

かくして、我々が御本尊に題目を唱えるということは、即ち、我が生命が南無妙法蓮華経という大宇宙の根本的生命の波長に法っていることになる。故に、我々が唱える題目の力は、即、大宇宙に遍満し、いかなる願いも叶い、人生を思うがままに遊戯しゆく力強い生命となっていくのである。

 

    自他不二の礼拝

不軽菩薩が四衆を礼拝した時、理即の凡夫なるが故に、四衆は自分では知るすべもないが、己心に内在する仏性は不軽菩薩を礼拝したのである。我々が折伏した場合も原理は同じである。必ず相手の仏性は目覚めて礼拝をなしていることを確信すべきである、

その証拠としてその人の心中には大きい波乱が起こり、動揺を始める。それはこれまで仏性が目覚めることなく、ただ平穏に貪瞋癡(とんじんち)ないし、第六天の魔王が支配していたところへ、初めて仏性が覚醒(かくせい)したのである。そこで、これらの魔の働きが仏性を押えようとし、一方では仏性を助けようとしてする折伏者に対して怨(あだ)をなす。

 

したがって、折伏して反対させることは、返って逆の方向へ向けさせたように見えることもあるが、事実はこのように、仏性を覚醒せしめたがために、そのような姿を現ずるのであって、大きい前進と言わなければならない、。

しかも、こうして一旦目覚めた仏性は必ず次第に力を得て成長し、ついには、魔の力を打ち破って、その人を妙法に帰依させずにはおかないのである。あたかも専制帝国ロシアに革命の息吹が伝えられ、それが芽生えていった時、弾圧すればするほど、革命の勢力が育っていって、遂に革命を成就したように――。

仏法の革命は個人の生命の奥底における、最も根本的な人間革命である。これは武力や暴力によらない、絶対的平和革命であり、人間の知性に法った思想革命である、この個人個人の人間革命が積み重なり、広がっていった時、政治、経済、科学、芸術等、あらゆる文化にわたる未曾有の大革命が成就されるのである。

 

<感想>今回の講義はわかりやすくて、大事な内容だと思いました。これは是非、皆さんに読んでもらいたいと思って全部載せました。講義にしては短い方なので、よく読んでいただけると幸いです。