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三世諸仏総勘文教相廃立 ① 全558頁 新705頁

三世諸仏総勘文教相廃立   弘安2年(ʼ79)10月 58歳  

 

「講義第十巻上」が見つかりましたので、いよいよ総勘文抄をアップしたいと思います。また数回に分けて載せます。

本抄は弘安二年(1279年)十月、日蓮大聖人が聖寿58歳の時、身延において著されました。

 

<本文>

        日蓮これを撰す。

 一代聖教とは、総じて五十年の説教であり、これを一切経とは言うのである。これを二つ分けるとすると、一には化他の経、二には自行の経となる。

 一に化他の経とは、法華経より前の四十二年の間に説かれた諸の経教である。これを権教といい、または方便と名づける。これは四教の中では、三蔵教・通教・別教の三教であり、五時の中では、華厳・阿含・方等・般若という。法華経より前の四時の経教である。また、十界の中では、(仏界に対して)前の九法界である。
 また、夢と寤(うつつ)との中には、夢の中の善悪を説いたものである。また、夢を権といい、寤(うつつ=目が覚めている状態。現実世界)を実というのである。この故は、夢は仮にあるもので、本体や性分がないので、これを名づけて権というのである。寤は常住にして不変の心の体であるから、これを名づけて実というのである。

故に、四十二年の諸の経教は、生死の夢の中の善悪の事を説いているので、権教というのである。夢中の衆生を誘引し驚覚させ、法華経の寤の世界に入れようと思われて、その支度・方便として説かれた経教なので、権教と言うのである。
 これによって、文字の読みを糾(ただ)して心得るべきである。故に権をば権(かり)と読む。権(かり)である事の手本は、夢を根本とするのである。

また実をば実(まこと)と読む。実事の手本は寤である。故に、生死の夢は権(かり)であって、性分や本体がないので、権である事の手本なのである。故に妄想というのである。本覚の寤は実にして生滅を離れたる心であるから、真実の手本である。故に実相というのである。このように権実の二字の意味を明らかにして、一代聖教の化他の権教と自行の実教との差別を知るべきである。故に、四教の中では前の三教と、五時の中には前の四時と、十法界の中では九法界とは、同じく皆夢の中の善悪の事を説いているのであり、故に、権教というのである。

 

(以上、講義、第一章から第三章の内容です。)

非常にわかりやすい譬えですね。権教と実教を夢と現実に譬えられている。