(講義第31巻って何?っていう人もいるかもしれませんね。昭和の本だからな~)
六郎恒長御消息、波木井三郎御返事などが第31巻の前半の御書なのですが、読むと念仏などの破折が多いようです。今の時代そんなことを勉強せんでもええかなと私は思いましたが、どうですか。必要ありますか?私は家が浄土宗か浄土真宗(どっちかわからん)で念仏唱えるお坊さんが先祖の命日に来てましたから、なんまいだーはよく聞かされたし、そのため念仏の破折も御書でよく勉強しました。
今の時代はいらんかな。
最近ずっと松野殿御消息など書いてきましたが、今日は次の御書は何にしようかと思い、31巻の前半にある波木井実長(はきりさねなが)に与えられた御書の序講を読みました。序講がすごく長くて詳しくて、ブログ書くことを忘れて読んでおりました。
大聖人亡き後、日興上人の定めた墓輪番も護ることなく、日蓮門下の僧侶でありながら、天台宗の坊主やと名乗ったりした日興上人以外の五老僧の話。日向や日向にたぼらかされた波木井実長等のせいで、身延の草庵がもはや謗法の山となったので、日興上人が下山しなくてはならなくなったことなど、詳しく書かれていました。
また、それ以前、大聖人がなぜ身延山に籠られたのか、そして、9年間そこで弟子を育成し、令法久住の戦いをされてきたのに、亡くなる少し前には身延山から下山して池上邸で亡くなられたという話も詳しく書いてありました。
どうして身延では亡くなられなかったか、その理由もはっきりわかりました。省略しますけど、初めて知った話もあり、とても興味深く読みました。
大聖人は将来、悪逆の日顕のような謗法のくそ坊主が現れることまで御存知だったのかな~~