御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

亡夫追悼御書 妙法比丘尼御返事 1406頁 57歳御作 32巻

御返事は御書で13頁と長いので(「御書を読む」からの)要約と私はここだけは線を引いてあったという最後の箇所を御書をわかりやすくして載せたいと思います。

 

妙法尼からの手紙にあった兄嫁から帷(かたびら)をご供養されたことと、尾張次郎兵衛の死去したことの二つをあげて、まず、帷の供養について、商那和修が死に瀕した聖者に衣を供養した因縁とその功徳のの大きさを述べ、大聖人に帷を供養した功徳がいかに大きいかを明かされています。

次に大聖人が仏道を求め、就学された経過を述べ、その中で一つの願いを起こして、日本に渡ってきた諸宗について「これらの宗宗・枝葉をば細かに習わずとも所詮肝要を知る身とならばやと思いし故に、ずいぶんにはしりまわり十二・十六の年より三十二に至るまで二十四年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺の国国・寺寺あらあら習い回りしほどに・一つの不思議あり」と述べ、それは仏法を誤って学ぶと謗法という落とし穴に落ちて大変な悪業を積むことである、と明かされています。

そして、日本の現状を見ると、念仏真言禅宗等が人々に尊ばれ仏教が栄えているにも関わらず、年々に災害が襲い、多くの人々が命を失い、苦悩に沈んでいる災いの姿は、経論に一国が正法を誹謗した時に起こると警告されている三災七難に符号していると指摘しています。さらに念仏宗が謗法である理由を阿弥陀仏浄土三部経以外を信じないように教えて、釈迦仏と法華経を誹謗していることにあると明かし、真言宗禅宗法華経を誹謗している事実を指摘されています。

また、念仏宗真言宗等の謗法の諸宗を信じて大きな罪科を積んだ結果として、承久の乱において朝廷側が敗北した現象をあげ、今、鎌倉幕府が当面している蒙古襲来の危機も謗法であるこれらの諸宗を崇めた結果である、と述べています。「今日本国すでに大謗法の国となりて他国に破らるべしと見えたり」と洞察された大聖人は「申すならば流罪・死罪は一定なり」との覚悟を固めて、立正安国論を提出して国主を諫めたところ進言は用いられず、念仏者によって打ち殺されようとし、幕府によって伊豆と佐渡の二度の流罪にあったことを記し、国を諫めて用いられないため身延に入った経過を述べています。

そして、佐渡の国の配所の塚原三昩堂での厳しい生活と、身延山での生活の厳しさを述べ、そうしたところへ帷を供養した妙法尼やその兄嫁に感謝され、また、中国・唐代の李如暹将軍の故事を引いて、ご自身になぞらえています。さらに不軽菩薩の法華弘通の難と対比して大聖人御自身の難がはるかに大きいことを挙げ、不軽が釈迦仏法になったことから大聖人の成仏は間違いないと明かされています。

また、大聖人から「無間地獄の業」と破折された念仏宗、「亡国の法」と断じられた真言宗、「天魔の所為」と破られた禅宗の僧等が、幕府の権力にすがって大聖人を亡きものにしようとした策謀を指摘し、法華経を忘ずる者ばかりの世の中で妙法尼と兄嫁が衣を供養したことをたたえています。最後に尾張次郎兵衛の死去に対して、人柄はよかったが念仏を捨てることができなかったので、無間地獄は間違いないとし、残された夫人の気持ちを察して慰められています。(以上)

 

 

 御書(現代語訳) 1418頁

さて、又、尾張の次郎兵衛尉殿はお目にかかったことのある人です。日蓮はこの法門を弘めるので、他の人とは比較にならないほど多くの人に会ったけれども・真にいとおしいと思った人は千人に一人もありませんでした。彼の人(ご主人)はよもや日蓮に心をよせてはいなかったでしょうけれども、その人柄は威張るところがなく誰にでも情の深い人であったから、心の中はどうであったかは知りませんが、会った時は穏やかな人でした。

又女房が法華経を信じているということから、真実とは思わないまでも、又ひどく法華経に背く事はよもやないであろうとたのもしいところもありました。されども法華経を誹謗する念仏並びに念仏者を信じ、我が身も多分に念仏者であったから、後生はどうであろうかと思っています。たとえば国主が宮仕えのねんごろな者には恩賞を与えることもあり、また与えないことはあっても、それでも少しでも過ちがあれば罰することは疑いないように、法華経もまた同じようなものです。いかに信ずるようでも知ると知らないとにかかわらず、法華経の御敵と交われば無間地獄は疑いありません。
 これはさておき、彼の女房の御歎きはいかばかりかと思うと、実にあはれ(不憫)である。たとへば・藤の花のさかんなるが松にかかりて思いがけず松が急に倒れとようなもので、つたが垣にかかっているのに・垣が破れたような気持ちであられることでしょう。

家の中へ入っても主人がいないのは、破れた家に柱がないようなものです。客人が来れども外に出て、応対する人もいない。夜は暗く、寝室は物寂しい。墓を見れば、標(しるし・墓標)はあっても声もきこえない。亡き夫を思いやれば、死出の山・三途の河を誰と越えているだろうかと思う。ただひとりで歎いておられるのか、後に残した御前達はどうして自分を一人だけ冥途の旅にやるのか、そうした契りではなかったがと歎いておられるのではないかなどと、秋の夜の更けゆくにつけ、冬の嵐の訪れる声を聞くにつけてもいよいよ御歎きが深くなっていくでしょう。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経