主な内容
法華経を疑って一句一偈の意義を質問する人は稀であると。また、疑問を晴らすことのできる僧も稀であると。宝塔品の中の六難九易の六つの中の1つの難しいことに法華経の問いを発するという事が書かれてある。 妙法尼御前の夫が亡くなる直前に「題目を唱えるだけで即身成仏出来るのか尋ねてほしい」というので、大聖人にお聞きしたことに対するお返事である。題目は一句一偈ではあるけれど、法華経の肝心骨髄であるが故に、一遍唱えれば法華経一部を真読するに等しい。100辺唱えれば法華経を100回読むに等しいと書かれている。題目こそ一句満了の一言なのである。日本、中国、インドの謗法の学者達は皆仏法に迷って法華経を捨ててしまった。その姿がいかにも真実そうなので言うことも間違いあるまいと思って信用したので、自分では思っていなくても皆法華経の敵となり、今生には祈る願いも叶わず、命も短く、後生には無間地獄を住みかとするようになる、と経文に説かれている。法華経の題目はその意味を理解して唱えなくても大きな善根となる。我ら衆生の悪業、煩悩、生死果縛の身が、正、了、縁の三因仏性の因によって即、法、報、応の三身如来と顕れることは疑いない。