御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

瑞相御書    1140頁

大聖人が54歳の時に書かれたもので、対告衆は不明だが四条金吾であろうと言われている。(末尾が欠けているため)

通解で読むとよくわかるので抜粋しながら感想と講義も書いておきます。

  瑞相御書

天の異変は多くの人を驚かし、大地の災厄はもろもろの人を動揺させる。

仏が法華経を説こうとしたとき大地が震動した。(六瑞の中の地動瑞)

天台がいうには「東方が高く盛り上がり、西方が低く沈んだというのは、東方とは青色で肝臓をつかさどり、肝臓はまた眼をつかさどる。西方は白色で肺臓をつかさどり、肺臓はまた鼻をつかさどる。それゆえ東湧西没とは眼根の功徳が生じて、それに応じて鼻根の煩悩が滅することを表している。鼻根の功徳が生じ、これによって眼の中の煩悩が滅する。その他の方角の湧没によって、それに関係する余根の功徳、煩悩の消滅を表すのもこれと同じである。」(はぁ~?)

これを受けて妙楽大師は

「各方角が六根を表すというのは眼と鼻が既に東西を表しているので、耳と舌は道理として南北に対応する。中央は心。四方は身。身は四根を具し、心はあまねく四根に縁している。ゆえに心は身に対し湧没を起こさせるのである。」と解している。(またまた、はぁ~じゃない?目と鼻が東西?耳と舌が南北?なんで~?)読み直したらなんとなく理解できた)

続きの本文の通解:

十方は依報、衆生は正報。正報は依報をもってその体を作る。眼根は東方によって作られる、舌は南方。鼻は西方、耳は北方、身は四方、心は中央に対応。それゆえ衆生の五根が破れようとするときは、四方や中央の地が動くのである。国土が崩壊しようとする前兆として、まず、山が崩れ、草木が枯れ、河川の水が涸れ尽きてしまう。また、人の眼や耳等が驚き騒げば天変が起こり、衆生の心を動かせば大地が震動するのである。

 

講義:正報の心の中の変動が依報の異変をもらたすという原理。社会全体の人々の心に起こった深層の激変は依報鏡に映り、天変地夭として初めて知ることができる。

(以上は1140頁初めから10行目までの内容)

 

釈迦が爾前経を説いた時にもそれぞれに何らかの瑞相があったらしいが、それよりも法華経迹門を説いた時の瑞相は大きく、またそれよりも法華経本門の瑞相は大きかった。

宝塔品において大宝塔が大地から湧現したり、湧出品になって地涌千界の大菩薩が大地から湧現したときの大震動は、ちょうど大風が大海に吹きつけて大山のような波を起こし、その波が葦の葉のような小舟を襲い、帆まで浸すような大きな震動だったのである。

ゆえに序品の瑞相については弥勒菩薩文殊師利菩薩に質問したのに対し、湧出品の大瑞に関しては慈氏(弥勒)が仏に質問したのである。さらにすごい瑞相は神力品のときに起こった。この大瑞相は仏滅後2000年が過ぎて、末法法華経の肝要が広まるという大瑞相である。このとき仏は十神力を現じた。神力品の大放光は十方の世界まで及んだ。大地は六種に震動した。

大地が動くのは人の六根が動くからである。したがって人の六根の動きの大小によって大地の震動も高低がある。爾前の諸経は一切衆生の六根の煩悩を破っているようで実際は破っていない。今、法華経は煩悩の最も根本である元品の無明を破るから大震動があるのである。しかも末法は在世よりも悪人が多い。その無明を破るのであるから、末法のための瑞相は在世の瑞相より大きいということを仏は示している。

去る正嘉の大地震、文永の大天変は日本国に今までなかった天変地夭である。

人の悦びが多ければ天には吉瑞が現われ、地には帝釈天の地動瑞が起こる。逆に人々の悪心が盛んになれば天には不祥の異変が現れ、地には不吉な災厄が起こる。また人間の懐く瞋恚の大小によってその現れる天変や地夭にも大小がある。現在の日本国には上一人より下万民に至るまで大悪心の衆生が充満している。この悪心の根本は日蓮によって起こった。

 

(ここで守護国界経の話が出てくるし、 例え話もあるが略します。)

とにかく真言宗の僧たちの大慢心は提婆達多に過ぎるものがあり、万民法華経を捨てて真言をあがむようになれば国は亡ぶと言われている。そして最も気をつけないといけない法門だからみだりに人に言ってはいけないと言われている。

折伏広宣流布の闘いにあって単なる蛮勇であってはならない。勇敢であるとともに細心の注意と賢明な対処をしなければならないという教訓であろう。)