御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

星名五郎太郎殿御返事 1296頁 46歳御作

上総国に住んでいたとされる星名五郎太郎は上総国の興津の領主佐久兵庫亮の家臣といわれていますが、明らかではありません。文永元年の秋に大聖人が安房国片海に帰られたとき、主君の佐久間氏と共に信徒となったようです。その前は真言に帰依していて、大聖人に帰依してからは純真に信心に励んでいたと思われます。(「御書を読む」から引用)

さて、この御書は4頁あります。一見して難しそうと思って読むのに勇気がいります。

やはり相手を見て内容をちゃんと考えて書いておられるのがよくわかります。

仏法はインドから中国・朝鮮を経て日本に伝来したが、仏法には小乗と大乗、権教と実教等の別があり、その義に迷って邪教を信じたら大罪になるといわれています。

仏法の正邪を判断する基準は経文を本として仏智によるべきことを示し、念仏と真言が正法(法華経)を誹謗する邪義であり、地獄の苦悩を受けることを経文を引いて明らかにしています。さらに真言を破折されて法華経こそ景勝であることを述べ、念仏の善導・法然が邪義によって仏法を破壊している事実を責められています。

 P.1207-10行目 ~14行目

凡そ仏法と云うは善悪の人をゑらばず皆仏になすを以て最第一に定むべし、是れ程の理をば何なる人なりとも知るべきことなり、若し此の義に依らば経と経とを合せて是を挍すべし、今法華経には二乗成仏あり真言経には之無しあまつさへ・あながちに是をきらへり、法華経には女人成仏之有り真言経には・すべて是なし、法華経には悪人の成仏之有り真言経には全くなし、何を以てか法華経に勝れたりと云うべき

(現代訳)

およそ仏法といえば、善悪の人を分け隔てなく皆成仏させる経文を最第一と定べきである。これほどの道理はどのような人であっても当然知ることができることである。もし、この義によるならば教教とを比較して判断することができる。今法華経には二乗成仏の義がある。だが、真言にはこれがない。そればかりか、むしろこれを嫌っているのである。法華経には女人成仏の義があるが、真言経にはまったくこの義が見られない。法華経には悪人成仏の義があるが、真言経にはまったくない。何をもって法華経に勝れていると言えようか。

続き14行目~最後の行(P.1207)

又若し其の瑞相を論ぜば法華には六瑞あり、所謂雨華地動し白毫相の光り上は有頂を極め下は阿鼻獄を照せる是なり、又多宝の塔・大地より出て分身の諸仏十方より来る、しかのみならず上行等の菩薩の六万恒沙・五万・四万・三万乃至・一恒沙・半恒沙等大地よりわきいでし事・此の威儀不思議を論ぜば何を以て真言法華にまされりと云わん、此等の事委くのぶるにいとまあらず・はづかに大海の一滴を出す。

(現代訳)

また、もし説法の時の瑞相について論ずるならば、法華経には六瑞がある。いわゆる四華が雨のように降り、大地が六種に震動し、釈尊の白毫相の光は上は有頂天に達し、下は阿鼻地獄までをも照らしたのである。また、多宝の塔は大地から出て、分身の諸仏は十方から来集した。そればかりか上行等の地涌の菩薩が六万恒沙、五万、四万、三万乃至一恒沙、半恒沙等大地から湧出した。この威儀や不思議を論ずるならば、何をもって真言法華経に勝れているというのか。これらのことは詳しく述べるいとまがない。大海の一滴のように、わずかにその一端を記すのである。

P.1209-11行目~16行目

仏の曰く「悪象等に於ては畏るる心なかれ悪知識に於ては畏るる心をなせ、何を以ての故に悪象は但身をやぶり意をやぶらず・悪知識は二共にやぶる故に、此の悪象等は但一身をやぶる悪知識は無量の身・無量の意をやぶる、悪象等は但不浄の臭き身をやぶる・悪知識は浄身及び浄心をやぶる、悪象は但肉身をやぶる悪知識は法身をやぶる、悪象の為に・ころされては三悪に至らず・悪知識の為に殺されたるは必ず三悪に至る、此の悪象は但身の為のあだなり、悪知識は善法の為にあだなり」と、故に畏る可きは大毒蛇・悪鬼神よりも弘法・善導・法然等の流の悪知識を畏るべし、略して邪見の失を明すこと畢んぬ。

(講義より)

ここは現代訳を省きますが、邪教をこそもっとも恐るべきであると釈尊が強い言葉で戒めているところです。悪象というのは釈尊の時代のインドでは一番凶悪な動物として恐れられていたようで、これを挙げられたようです。今日では交通事故はじめ様々な事故で不慮の死を遂げたり、強盗に殺害されるなどの横死を意味します。だがこれらの原因による死は決して地獄、餓鬼、畜生の三趣に堕ちることにはつながらない。だが、悪知識のために殺されるならば必ず三悪道に堕ちる。謗法こそ恐るべきものである。大毒蛇・悪鬼神よりも、弘法・善導・法然等の悪知識を畏れるべきである。

(感想)正しい仏法を行っている創価学会や学会員の悪口を言ったり、信仰をやめさせようとする人は必ず地獄の苦しみを受けるということです。悪知識にたぼらかされて信仰を捨てたりしたら、その人は地獄の苦しみを受けます。私が今まで見てきた人たちで実際にそういう人が多いので、仏のいうことに嘘はないということです。