御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

教機時国抄 438頁 41歳御作

弘長2年(1262年)2月、伊豆流罪中の御書。伊豆流罪は文応元年(1260年)の立正安国論による国家諌暁を機に起こった初めての権力による迫害。

 

宗教の五綱(五義)を通して南妙法蓮華経が誤りなき大法であることを示された御書。

「教」

釈迦の教えは八万法蔵と呼ばれ、釈迦言々句々は「経」、釈迦が直接説いたわけではないが自ら行動で示した「律」、釈迦の真意を受け継いだ人々によって、わかりやすくするために説き表わされた「論」もすべて「教」に含められる。

また「大小」、「権実」、「顕密」とあげられているが顕経とは日蓮大聖人の立場から言えば釈尊法華経であり、「密教」すなわちあらわに言葉に示さなかった経とは法華経の寿量品の文底に秘沈された法であり、南無妙法蓮華経のことである。教学でならうときは本迹ということもあるが、顕密と立て分けられたのはあまり知らなかった。

 

「機」

教を受け容れて修行し証得する衆生の能力。

現代では順逆ともに救うことができるので、衆生の機を考える必要はない。

「時」

客観世界が全体的に奏でる変化のリズムが「時」と言える。

法華経は機によらず、時を選んで説かれたそうです。撰時抄でさらに詳しく時のことを書かれている。釈尊の入滅が近いこと、そこから滅後の時代が始まることも含んだ意味での「時」と考えられる。法華経に説かれる仏の常住観等は釈尊の入滅真近という条件のもとでこそ衆生により切実に受け容れられたと思われる。

正法時代は持戒、像法は破戒、末法は無戒。

像法においては戒律の修行は初歩の一段階に過ぎず、智慧の研鑽や衆生化他の実践が中心になってくる、そういう意味で破戒の僧が増えるということ。

末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし」妙法を直ちに行じ、教え弘める人を尊び供養することが大事。

「国」

国には寒国、熱国、貧国、富国、中国(世界の中央にある国)、辺国(辺境の国)大国、小国、一向偸盗国(盗賊ばかりの国)、一向殺生国(殺生者ばかりの国)一向不孝国等あり、又一向小乗の国、一向大乗の国、大小兼学の国もある、それでは日本は小乗だけの国なのか大乗だけの国なのか、大小兼学の国なのかよくよくこれを考えなさい、ということです。

あとで日本は大乗だけの国であり、法華経に縁のある国であると言われています。

「教法流布の先後を知る」

基礎教学なのであとは書かなくてもわかると思うので省略させていただきます。