御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

世雄御書 四条金吾殿御返事 1165頁 56歳御作

建治三年(1277年)四条金吾が陳状をしたためていただいたお礼と絶対に起請文を書きませんとの決意を報告したことに対する御返事です。

届けられた書状を読んで安心したことが、このように書かれています。

御文あらあらうけ給わりて長き夜のあけ・とをき道をかへりたるがごとし

通解: あなたのお手紙の内容を概略承り、長い夜が明け、遠い道を歩いて帰りついたように安心いたしました。

どれほど心配されていたことか、この御文で察することができると思いませんか。

師匠とはなんとありがたい存在か、いつも弟子の事を思ってくださっているのが師匠ですね。

夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり、

講義より:

「仏法は勝負をさきとす」

勝負とは権威によらず、法自体および法を持った人の力によって、いずれの法がより人間の幸福と尊厳のために尽くしうるかを決することである。

王法は賞罰を本とす」

賞罰とは権威により、社会的権力によって、功ある人を賞し罪ある人を罰するのである。

「勝負をさきとす」の「さき」とは前後の前のことではない。勝負を先とするというのは勝負を優先すべきだということではなく、結果として勝負がつく、勝敗が現れるということだ。仏法の実践では法の正義を守り全魂込めて実践しきることが大事である。勝敗にこだわり策を弄して正義をゆがめるようなことがあってはならない。この誠意の闘いが長い展望でみたとき必ず正しい仏法の勝利が証明されるのです。

王法に関しては真に功ある人が賞せられ罪ある人が罰せられて、秩序の維持と人民の行動を律する規範となっていく。賞罰とは手本であって、すべての人々の行動に対する結果ではありえない。

仏をば世雄と号し、:世雄とは世間において最も勇(雄)猛で、一切の煩悩苦を取り除くというところから世雄という。世とはこの現実社会のことであり、雄とはその中で力をあらわし、リードしていく人のこと。

王をば自在となづけたり:自在とは束縛や障りがなく自分の思うがままに人々を動かし行動できる境涯。

経典に「自在、王者の力なり」とある。

 

日本と中国への仏法流伝の歴史を記し「仏法と申すは道理なり、道理と申すは主に勝つ物なり」として正法を信ずる者は最後には必ず勝利するとの確信を述べられています。

また「日蓮は少(わかき)より今生のいのりなし、只仏にならんとをもふ計りなり」(思うばかりなり)」

そういう境涯でないとだめだなと思うばかり也・・・・筆者(苦笑)