御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

日眼女造立釈迦仏供養事 1187頁 58歳御作

四条金吾さんの奥さんが日限女です。37歳の厄年の厄払いのために釈迦仏像を造立して大聖人に供養したようです。ほんとはあかんのです。謗法です。でも、大聖人が日限女の悪気のない真心からのご供養に対して大きな気持ちで受け取られてほめられているお手紙です。絵像、木像の本尊は立てないということをまだ知らなかったのかな。だからお手紙の最初のところで「御守(おんまもり)書き手まいらせ候」と御本尊を書いてあげましょう、と言われたのですね。ほかの御書には四条金吾も釈迦仏を供養したことが書かれています。当時は権実相対を強く言わなくてはいけない世相であり、宗教界であり、釈迦仏法ではなくて大聖人の御内証である種脱相対は弟子であっても、まだわからなかったのかもしれません。御義口伝を拝すると法華経が全部末法の大聖人の立場で読むのが正しいとわかります。ただ日興聖人だけが種脱相対で明かされた大聖人の本地をよくわかっていたと思われます。

お手紙の中で:

「たとえば釈尊を天の月とすれば、諸仏、菩薩は万水に浮かべた月である。それゆえ釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を造ったことになる」

(当時日本中が阿弥陀仏を本尊としていたので、阿弥陀像を捨てて釈迦像を造ったことをほめられたようです。釈尊を立てるということは法華経を立てることであり、妙法の御本仏・御本尊に帰依することに通ずると思われたのでしょう。大聖人の温かな心、大きな心が日限女に伝わったと思われます。)

また有名な一節:

「たとえば頭(こうべ)をふれば髪が揺れ、心が働けば体もそれに従い、大風が吹けば草木が揺れ、大地が動けば大海が荒れるように教主釈尊を動かせば揺れない草木はあるだろうか、さわがない水があるだろうか。」

ここでいう教主釈尊とはまぎれもなく御本尊のことになります。自身においては根本の生命・仏界の生命であると講義されています。壁を打ち破るようなお題目と広宣流布への自身の行動が宿命の壁を破ります。不可能を可能にします。困難の極限に立った時、御本尊を疑わずに前に進めたら道は開けるのです。

 

女のひとには是非読んでもらいたい御書です。今度、通解で載せたいと思います。

御書というのはなかなか難しいですから、是非講義の本で読んでいただきたいです。意味がわかるとほんと嬉しいものです。翻訳御書で読むと外国人のひとは結構わかりやすいと思います。鎌倉時代のことばを現代の日本人が読むと、半分英語みたいにわかりにくい。ただ日本の文化は外国の人には分かりづらいと思う。

まあ、御書をこれから読まれる方は、できるだけ通解を読んで意味をわかって読んでください。最初に数冊講義の本をしっかり読まれると、あとあと講義の本がなくても読みやすくはなります。漢字の読み方もわかってきます。意味も分かりやすくなります。

最近御書の現代語訳という本がどんどん発刊されるようになりました。まだまだ少ないけど、でもいいことです。是非読んでほしいです。私のは古い昭和時代に発刊された御書講義です。全38巻のうち数冊足りないくらいです。学生時代に入信したので本屋で買いあさりましたし、年取ってからはネットでも買いました。お友達のお母さんにも譲ってもらいました。たまに重複してて多いのは4冊もあってびっくりしました!(笑)

とにかく求道心が大事と思っています。

今日は世界青年部総会を昼夜二回見ました。世界中で仏法を実践している若者が増えて感動です。私が入会したころはアメリカとヨーロッパの一部にしか学会員がいなかった。世界広宣流布はいつできるんだろう。「見果てぬ夢」を歌いながら英語で仏法を学ぶグループにも入っていましたが、なかなか世界広布の現実的な先が見えない時代でした。今は夢のようです。「新・人間革命」の中に世界広布の死闘の全貌が書かれていますよね。先生が書いて下さらなければ誰もわからない不思議な歴史です。人類皆がわかって、大事に後継していかなければならない歴史です。前代未聞の話ですから、せめて身の回りの親しい人には伝えていかなくてはいけない。そして信心を教えて幸せにしてあげなければいけない。使命ある我等地涌の菩薩ですから。