富木常忍に与えられた御消息です。
内容は富木常忍が釈迦仏を造立したことについて、その信心を喜ばれ、改元供養について指示されている。
講義より:
日蓮大聖人の仏法は下種仏法であり、脱益の釈迦像を造立することは誤りのはずである。
富木常忍の釈迦仏造立を喜ばれていることについて、日寛上人は次の三点を挙げられている。
①まだ一宗弘通の初めであり、大聖人の御本意にそぐわないことがあっても許された。種脱相対の深い原理は富木常忍には理解に無理があり、根本的な誤りでなければ許されることもあった。
②権実雑乱のときであり、実教の釈迦像を造ることは阿弥陀の権教を捨てるという意味では尊い。
③富木常忍にとっては釈迦像であったが、大聖人の御境界からみれば、それはそのまま一念三千即自受用身の本仏であった。本抄に「己心の一念三千の仏」と言われているのはまさにこの第三の観見から仰せになっている。「無始曠劫よりいまだ顕れましまさぬ」といわれているところからも、それは明らかであろう。
法華経をもって仏像に仏の力用をあらわすのを開眼という。
開眼を富木常忍の義子である伊予房に至急させなさいと言われている。
ともあれ、本抄を書かれたのは御本尊を顕される以前の段階であることを忘れてはならない。