御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

明衣書 妙法比丘尼御前御返事 1419頁 60歳御作 32巻

妙法尼と呼ばれる人は4人いたようですが、このお手紙を頂いたのは駿河の岡宮に住んでいた妙法尼とされています。

冒頭に「明衣(ゆかたびら)一ついただきました。」とあるので別名を「明衣書」と言われます。

講義は4章に分かれてあります。

1⃣ 迫害に動ぜぬ尼の信心をたたえる

明衣一つ給び畢んぬ、女人の御身・男にもをくれ親類をも・はなれ一二人ある・むすめもはかばかしからず〈あまりしっかりしておらず〉便りなき〈頼りにならない〉上・法門の故に人にも・あだまれさせ給ふ女人、さながら〈まるで〉不軽菩薩の如し、

2⃣ 摩訶波闍波提記別の経緯を述べる

仏の御姨母・摩訶波闍波提比丘尼は女人ぞかし、而るに阿羅漢とならせ給いて、声聞の御名を得られて永不成仏(永久に成仏できないこと)の道に入ってしまわれました。女人の姿を変え・后(きさき)の位を捨てて仏の御すすめを敬ひ、四十余年が程・五百戒を持ちて昼は道路にたたずみ・夜は樹下に坐して後生を願ったのに、成仏の道を許されずして永不成仏の悪い評判をたてられたことは、悔しいことであったでしょう。、女人なれば過去遠遠劫の間あることないこと悪い評判を立てて、恥ずかしく悔しいことであったでしょう。その身を嫌って尼となったからには、このような嘆きから離れようと思ったのに、案に相違して二乗となり、永不成仏と聞いたときは、どれほど浅ましく思われたことでしょう。法華経にして三世の諸仏の御勘気を許されて、一切衆生喜見仏と成られたときは、どんなにかうれしく悦ばしいことであったでしょうか。

3⃣ 滅後弘教を辞した摩訶波闍波提を嘆く

そういうわけで法華経のためとあれば、何なる事があっても背かれるようなことはあるべきではない。それなのに仏の言わく大音声を以て普く四衆に告げられた、「誰れか能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説くだろうか」等云云、我も我もと思うに「諸仏の恩を報ぜんと思はん尼御前女人達、何事をも忍んで我が滅後に此の娑婆世界にして法華経を弘めなさい」と三箇度まで諫められたのに、用いられることなくして(仏のいうことを聞き入れずに)、「(尼御前女人達が)他方の国土に於て広く此の経を宣べましょう」と申させ給いしは、よくよく道理をわきまえない尼であります。どんなにか仏は腹立たしく思われたことでしょう。そこで仏は脇を向いて八十万億那由佗の諸菩薩をこそ、つくづくと御覧になったのです。

4⃣ 尼を一切衆生喜見仏と讃嘆する

されば(そういうわけだから)女人は由なき道(つまらない世間の道)には名を折り(汚したり)命を捨てるけれども、成仏の道には弱いであろうと思っておりました。ところが、今末代悪世の女人と生れさせ給いて、このように物の道理をわきまえない島(日本国)の野蛮な人たちにののしられ、打たれ責められながら、しのび法華経を弘めていらっしゃる。彼の比丘尼には雲泥勝れてありと仏は霊山で御覧になられているでしょう。彼の比丘尼の御名を一切衆生喜見仏と申すは別の事ではなく、今の妙法尼御前の名であるのです。王となる人は、過去にても現在にても十善戒を持つ人の名です。名は変わっても師子の座は一つです。この名(一切衆生喜見仏)も変わることはありません。彼の仏の御言に逆らった尼でさえも一切衆生喜見仏と名づけられました。これは(あなたは)仏の言をたがえず、この娑婆世界で名を失ひ命を捨てている尼です。彼は養母として(仏は)捨て給はず、是(あなたのこと)は他人として捨てられたならば不公平な仏です。どうしてそのようなことがありましょう。ましてや「その中衆生悉是吾子」の経文の如くならば今の尼は女子なり彼の尼は養母なり、養母を捨てずして女子を捨つる仏の御意であるはずがありません。此の道理を深く知ってください。しげければ・とどめ候い畢んぬ。(多くなってしまったので、筆を置いて終わります。)

 

感想:第2章のところで摩訶波闍波提さんが仏に「何事をも忍んで我が滅後に此の娑婆世界にして法華経を弘めなさい」と三度まで要請されたのに、いややと言えたのは、なかなか勇気のいることやとある意味で感心してしまった。まあがっかりしたといってもいいですけどね。娑婆世界で法華経を弘めることってものすごい迫害があって怖いなって思ってお断りしたのかな。(尼御前女人達が)ほかの国土で広く此の経を宣べましょう」と言うたのは、よくよく空気を読めない尼ですね。それで仏が怒って脇のほうにいた八十万億那由佗の諸菩薩を見たんやね、だれかおらんか?希望者?!って見たのかな?お前らはどやねんって?(笑)どんな気持ちで諸菩薩を見たのか考えたら面白いでしょ。しかし結局この諸菩薩にも頼まなかったのね、娑婆世界で末法法華経を弘めるのは地涌の菩薩ですからね。