御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

忘持経事 976頁 55歳御作

この御書の最初のところです:

 忘れ給う所の御持経、追て修行者に持たせ、之を遣わす。
 魯の哀公云く人好く忘る者有り、移宅に乃ち其の妻を忘れたり云云、孔子云く又好く忘るること此れより甚しき者有り、桀紂の君は乃ち其の身を忘れたり等云云、夫れ槃特尊者は名を忘る、此れ閻浮第一の好く忘るる者なり、今常忍上人は持経を忘る、日本第一の好く忘るるの仁(ひと)か、

 日本で一番よくものを忘れる人か、と言われたあの富木常忍への御手紙です。

大聖人のところに法華経の持経を忘れたために、このお手紙の最初のところは忘れん坊で有名な人たちの話が出てきます。古今、世界の物忘れの例を引いておいて、その中でも、あなたは日本で一番の忘れん坊だね、と言われています。

遠く離れた下総から身延まで、亡き母の孝養のために遺骨を納めに来た常忍の心をほめて、その真心は必ず母子同時の成仏となると励まされています。

よほど感動して経を置き忘れたのであろうと講義にはありましたが、修行者に持経とともに、ことづけられたお手紙がこの御書です。

内容がとてもいいので、通解で意味がわかって読んだ方がいいですね。

大聖人のお気持ちと富木常忍の母を亡くした悲しさやお手紙を読んだときの気持ちなどが想像できて、いいと思います。

 

通解:

魯の国の哀公が孔子に「よく物忘れする人がいて、転宅する時に妻を忘れてしまったそうだ」というと、孔子はもっと甚だしいもの忘れがいる。夏の桀王や殷の紂王は我が身さえも忘れてしまった」といった。また槃特尊者は自身の名さえ忘れたというから、これこそ世界第1の物忘れの人である。今常忍は御持経をお忘れになったから、日本第一のよく物忘れをなさる方と言えようか。

大通結縁の者は衣の襟に掛けられた宝珠を忘れ、三千塵点劫という長い間、貧路に迷い、また久遠下種の人は良薬を忘れて五百塵点劫の間三悪道に落ちて苦しんだ。今、真言宗念仏宗禅宗律宗等の学者等が釈尊の本意を忘失し、未来無数劫の間、無間地獄の火坑に沈むであろう。これらより第一に仏意を忘失した人達がいる。すなわち今の世の天台宗の学者達と法華経を持つ者達で、法華経の行者である日蓮を誹謗し、念仏者達を助けているのがそれである。これはちょうど、親に背いて敵につき刀を持って自らを切り破るようなものであるご、これらのことはしばらく置く。

昔、常啼菩薩は東方に向かって般若を求め、善財童子は南に向かって、華厳の教えを得た。雪山童子は「生滅滅巳、寂滅為楽」の半偈の法を得ようと鬼神のために身を投げ、楽法梵志は一偈の文を書き写すために身の皮を剥ぎ紙とした。

しかしこれらは皆優れた聖人であり、その垂迹を考えてみるに別教の初地、円教の初住の菩薩の位に居られ、その本地を尋ねてみれば等覚、妙覚の位に居られる。身は八熱の苦しみにあっても火坑三昧(かきょうざんまい)を得られ、心は八寒地獄に堕ちても清涼三昧を悟られている人であるから、心身共に苦しみがない。例えば矢を放って虚空を射、石をつかんで水に投ずるように何らのさわりもないのである。

今、常忍殿、あなたは末代の愚者で見思の一惑さえ断じていない凡夫である。身は俗でもなく僧でもい禿居士(とくごじ)であり、心は善でもなく悪でもなく、羝羊(ていよう)と変わりがない。しかし、家に一人の悲母がおり、朝に出でては主君に仕え、夕には家に帰ってもっぱら孝養を尽くされたが、去る二月下旬の頃、母君は生死のことわりを示さんがために黄泉の旅に赴かれた。

ここにあなたは嘆いて言うのに既に齢(よわい)九十を超され、子を残して親が逝くことは順序であるというものの、しかしよく考えてみるに、母君が去って後いつの日にか再び会うことができようか。世にふたりの母はない。これからは誰を母として崇めていくべきだろうか。

そこで別離の悲しみが忍び難いので、その御遺骨を首にかけ足に任せて大道に出て、下総からこの甲州まで来られた。その間の道のりは往復千里にも及ぶ。国々は皆飢饉で山野には盗賊が溢れ、宿々で粮米も乏しく、そのうえ身体も弱く、かつ従者も無いに等しい。牛馬とてあてにはならず、大山は峨峨としており重なり、満々と流れる大河は多い。

高山に登れば頭は天につくほどであり、幽谷に下れば足下に雲を踏む。鳥でなければ渡ることが難しく、鹿でなければ越え難い。目はくらみ足は凍える。羅什三蔵がそうれい葱嶺(そうれい)を超えた様子、役の行者が大峰をよじ登ったのもこのようであったかと思われる。このような旅を経て身延の深洞に尋ね入り、一つの庵室を見る。そこからは法華経を読誦の声が青天に響き、一乗妙法を談義する声が山中に聞こえる。

案内を請い室に入り、教主釈尊の御宝前に母君の御骨を安置し、五躰を地に投げて合掌し、両眼を開き尊容を拝すると、歓喜が身に余り、心の苦しみがたちまちにやむ。

思うに我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口である。例えれば種と菓子(このみ)と、身と影とのようである。教主釈尊の成道は親の浄飯王、摩耶夫人の得道であり、目蓮尊者の成仏は親の吉占(きっせん)師子、青堤女(しょうだいにょ)と同時の成仏であった。このように観ずるとき無始以来、過去遠々の罪障もたちまちに消えて、己心の仏性を即座に開かれたことであろう。こうして十分に仏事を営み、お帰りになられたのである。恐恐謹言。

  富木入道殿