文永8年9月14日、相模国依智(現在の神奈川県厚木市)で著され富木常忍に与えられた。別名を越智滞在御書という。竜の口法難の直後、依智の本間邸へ移された間のことを記され、難にあってこそ成仏できるともご確信を述べられています。
短い御書ですが、竜の口の法難の直後にどうされていたのかがわかってすごい御書だと思いました。富木常忍が多分嘆かれていたのでしょう、励まされている御様子が想像できそうです。最初のところはあとで書かれた追伸のようだと講義にありました。ご真筆は現存しているそうです。種種御振舞御書にも法難のときの話が詳しく書かれているようです。
<通解>
上(北条幕府)が責めてくれるので、(日蓮が)法華経の行者であることがはっきり顕れた。月は欠けて満ち、潮は引いて満ちることは疑いない。日蓮も罪を受けたから必ず徳を得るのである。どうして嘆くことがあろう。
この十二日酉を被(午後6時ごろ)にご勘気をこうむり、武蔵守殿の御あずかりとなり、十三日丑の時(午前2時ごろ)に鎌倉を出て佐渡の国へ流されることになった。
当分は本間の領地の依智というところで、越智の六郎左衛門尉殿の大官で右馬太郎というものにあずけられており、今、四、五日はここにとどまるようである。
御嘆きは最もであるが、自分としては元より覚悟していたことであるから、今更嘆いてはいない、今まで首を切られないでいることこそ残念に思っている。法華経のために過去世にもし首を切られていたら、今生にこうした少身の身は受けなかったであろう。また経文には数数見擯出(さくさくけんひんずい)と説かれており、度々ご勘気を被ることによって過去の重罪を消してこそ、仏になれるのであるから、われとわが心から求めて苦行をしているのである。
九月十四日 日蓮 花押
土木殿御返事