御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

南条殿御返事 1530頁 (新版御書1855頁) 55歳御作

建治二年三月十八日、身延から南条時光に与えられたお手紙です。

時光が橘三郎・太郎太夫とともに御供養したことに対する御礼のお手紙です。

時光の供養が成仏の因を積んだことになると、妙荘厳王や須頭檀王の例をひいて述べられています。

(わかりやすいように現代語に変えています。)

 

1855頁(307)

南条殿御返事(諸人供養の事)

 建治2年(ʼ76)3月18日 55歳 南条時光

 いものかしら、河のり、またわさび、一々、人々の(厚い)御志、たしかに承りました。親鳥のかいご(卵)をやしない、(親)牛の子を牛のねぶるがごとし(なめるようなものである)。
 さて、衣は身をつつみ、食は命をつぐ。されば、法華経を山中にして読みまいらせ候人を手厚く供養されるのは、釈迦仏を供養申し上げ、法華経の命をつぐことと同じではないだろうか。妙荘厳王は三聖(三人の聖人)を山中に養った供養により、沙羅樹王仏となり、檀王は阿私仙人を供養して釈迦仏となられた。とすれば、必ず法華経を読み書くことをしなくても、読み書く人を供養すれば、仏になること疑いない。経に云わく「この人は仏道において、(仏になることは)決定して疑いない」。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経
  建治二年三月十八日    日蓮 花押
 謹上 南条殿御返事
  橘三郎殿・太郎大夫殿、一紙に云々、恐れ入り候。返す返す、はわき殿、読み聞かせまいらせ給え。