御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

九郎太郎殿御返事 1535頁 (新版御書1861頁)55歳御作

建治二年九月十五日、身延で著され、南条氏の一族の九郎太郎に与えられた御消息。

大聖人のもとへ御供養として里芋を送り届けたことに対して、身延では里芋は珍しいことを述べ、、その真心を讃えられています。

 

短い御書なので現代語に直しておきました。

 

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九郎太郎殿御返事(家の芋供養の事)

 建治2年(ʼ76)9月15日 55歳 九郎太郎〈南条殿の縁者〉

 里芋一駄、送っていただきました。。
 こんろん山と申す山には玉(宝石)のみ有って石がない。石が少ないので、玉(宝石)をもって石を買う。ほうれいひんと申す浦(湖の入り江)には木草がない。魚をもって薪を買う。鼻に病ある者は、せんだん香も用をなさない。眼なき者は、明らかなる(曇りのない)鏡も何の役に立とう。
 この身延の沢と申す処は、甲斐国波木井郷の内の深山なり。西には七面のがれと申すたけあり。東は天子のたけ、南は鷹取のたけ、北は身延のたけ、四山の中に深き谷あり。箱の底のようである。峰にははこうの猿の音やかましい。谷にはたいかいの(水をせき止めるような大きな)石が多い。しかしながら、するがのいものような石は一つもない。いものめずらしきこと、くらき夜のともしびにもすぎ、かわける時の水にもすぎて候いき。どうして珍しくないものなどといわれるのであろう。ということは、そちらには多くあるということか。ああ恋しいことである。恋しいことである。法華経・釈迦仏にお譲り申し上げた。きっと、仏は御志をおさめられて、御悦びになられているであろう。霊山浄土へ行かれた時に、尋ねられるとよい。恐々謹言。
  建治二年丙子九月十五日    日蓮 花押
 九郎太郎殿御返事