御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

兵衛志殿女房御書 1094頁 新版御書1482頁 

建治三年(1277年)三月二日、大聖人が56歳の時に身延から池上宗長の夫人に送られたお手紙です。別名「儒童菩薩御書」

前に仏器を供養し、今回は尼御前が身延へ参詣するのに大事な馬を遣わして乗せていった志を喜び、儒童菩薩と瞿夷の故事を通して夫人の信心をほめられ、このまま信心を貫けば百二十歳まで長生きして、この馬に乗って霊山浄土へいくことができるでありましょう、と励まされています。

 

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兵衛志殿女房御書

 建治3年(ʼ77)3月2日 56歳 池上宗長の妻

 先日は、仏器を御供養なさいましたが、このたびは、この尼御前が登山されるのにあたって、大事な御馬に乗せてくださったとうかがいました。法にすぎたる(過分な)御志でありましょう。これは、殿のお志はいうまでもなく、むしろ女房殿の御心づかいであろうかと思います。。
 昔、儒童菩薩という菩薩は、五茎の蓮華を五百の金銭で買い取り、定光菩薩に七日七夜供養しました。女人あり、瞿夷(くい)となづく。二茎の蓮華をもって自ら供養して云わく「凡夫である時は、世々生々、夫婦となりましょう。仏になる時は、同時に仏になりましょう」。このちかいくちずして、九十一劫の間夫婦となる。結句、儒童菩薩は今の釈迦仏、昔の瞿夷は今の耶輸多羅女、今、法華経の勧持品にして具足千万光相如来がこれである。
 悉達太子、檀特(だんとく)山に入られたときに乗った金泥駒は、帝釈の化身。摩騰迦(まとうか)・竺法蘭(じくほうらん)の経を漢土に伝えたときは、十羅刹が化して白馬となったのです。この馬も法華経(御本尊)への道を来たのですから、あなたが【上品の】※百二十の長寿を生きたのちに、【霊山浄土へ行かれる時、】お乗りになる御馬です。恐々謹言。
  建治三年丁丑三月二日    日蓮 花押
 兵衛志殿女房

 

 

※百二十年御さかえ:百二十年生きることは仏説の上品の定命をいう。上品の寿命をもって法華経受持の功徳の大なることを説かれたもの。