御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

兵衛志殿女房御返事 1097頁 新版御書1485頁 56歳御作

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兵衛志殿女房御返事(牧牛女の事)

 建治3年(ʼ77)11月7日 56歳 池上宗長の妻

 銅の御器二つ、給び畢わんぬ(いただきました)。
 釈迦仏三十の御年、仏の悟りを開こうとしておられたときに、牧牛女といわれた女人が、乳の粥を煮て仏に差し上げようとしたところ、入れてさしあげるべき器がなった。毘沙門天王等の四天王が四つの鉢をさしあげてありました。その鉢をうちかさねて、粥をまいらせて(供養して)、※釈迦は仏にはなられたのです。その鉢は、後には人が飯を盛らなくても常に飯が満ちたということです。後に、馬鳴菩薩という菩薩が、【その鉢を戦に敗れた華氏王のもとよりカニシカ王のもとに】伝えて、報奨金の三貫に引き当てたということです。
 今、御器二つを千里(離れた身延)に送って、釈迦仏にまいらせ給えば、かの福(八の功徳)と同じでありましょう。委しくは申さず候。
  建治三年丁丑十一月七日    日蓮 花押
 兵衛志殿女房御返事

 

※釈迦は6年間苦行をしたが、肉体は消耗し、かろうじて生きているだけの状態であった。心の平静を保つどころか、心身ともに疲労するばかり、そこで得た結論は壮健な心身でなければ解脱が得られないということであった。そこで、6年間の苦行を決然として捨て去り、尼連禅河に入って身を清め、村の牧女のささげた乳の粥を飲んで、心身のさわやかなるのを覚えた。5人の待者たちは、釈迦が堕落したものと思い、釈迦のもとから去っていったが、やがて、釈迦は魔を降して悟りを成ずることができた。