御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

上野尼御前御返事 1580頁 新版御書1912頁 60歳御作

別名を「烏竜遺竜の事」「烏竜遺竜事」といいます。

弘安3年11月15日、身延から南条時光の母御前に送られた御消息です。

古い講義録では弘安4年となっていますが、新版御書では弘安3年になってますね。したがって聖寿も59歳と。御書全集も日蓮大聖人御書講義っていう本も、かなり古いですから、変わったようですね。これからは新版御書を参考にして書いていきたいと思います。

 

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上野尼御前御返事(烏竜遺竜の事)

 弘安3年(ʼ80)11月15日 59歳 上野尼

 麞牙一駄四斗定・あらいいも一俵、送っていただき、南無妙法蓮華経と唱えました。
 妙法蓮華経というのは、蓮に譬えられています。天上には摩訶曼陀羅華(まかまんだらけ)、人間界には桜の花、これらはたいそう綺麗な花であるけれども、これらの花を法華経の譬えに仏は取りあげられることはない。一切の花の中でとりわけこの蓮の花を法華経に譬えられたことには理由があります。花にはあるいは前花後菓といって、花は前に咲き、菓(み)は後になるもの。あるいは前菓後花と申して、菓(み)が前になり花は後に咲くもの。あるいは一花多菓、あるいは多花一菓、あるいは無花有菓と、色々あるけれども、蓮華という花は菓と花が同時なのです。

 一切経の功徳は、先に善根を積んで後に仏に成ると説きます。それ故に不定なのです(成仏は決まっていません)。法華経というのは、手に取ればその手は直ちに仏に成り、口に唱えれば、その口が即ち仏なのです。譬えば、天の月の東の山の端に出れば、その時即ち水に影の浮かぶように、音とひびきとが同時であるように。故に、経に云わく「もし法を聞くことがあれば、一人として成仏しないことはない」云々。文の心は、この経を持つ人は、百人は百人ながら(百人みんな)、千人は千人ながら(千人みんな)、一人もかけず仏に成るという文です。
 そもそも、お手紙を拝見すれば、尼御前の慈父・故松野六郎左衛門入道殿の忌日とありました。「子息が多いので孝養もまちまちであります。けれども、必ず法華経によるのでなければ、謗法となるのでしょうか」等云々。
 釈迦仏の金口の説には「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説くであろう」と。多宝の証明には、この説を説明して「妙法蓮華経は、皆これ真実である」と。十方の諸仏の誓いにも「舌相は梵天に至る(舌を梵天につけて証明する」云々(とあります)。
 これより、ひつじさるの方に(西南の方に向かって)、大海をわたると国があります。漢土と名づけます。彼の国には、あるいは仏を信じて神を用いない人もあり、あるいは神を信じて仏を用いない人もいます。あるいは日本国も、始めはそうでありました。ところが、彼の国に烏竜(おりょう)と申す手書き(書家)がいました。漢土第一の書き手です。例えば、日本国の道風・行成等のような人です。この人、仏法を嫌って経を書かないという願を立てた。この人、死期が来て重病になり、臨終におよんで子に遺言していうには「汝は我が子なり。わが跡を絶やさずして、また我よりも勝れたる手跡(書き手)である。たといいかなる悪縁ありとも、法華経を書いてはいけない」と。その後、五根より血の出ずること泉が涌くようであった。舌八つにさけ、身くだけて十方にわかれてしまった。けれども、一類の人々も、三悪道を知らざれば、地獄に堕ちた先相ともしらない。
 その子をば遺竜という。また漢土第一の書家である。親の跡を追って法華経を書くまいという願を立てた。その時、大王がいて司馬氏と言った。仏法を信じ、殊に法華経を信仰されていたので、同じくは我が国の中に書家第一の者にこの経を書かせて持経としようと思って、遺竜を召した。竜がいう、「父の遺言があります。こればかりはお許しください」といいました。大王、父の遺言というので、他の書家を召して一経を写させた。しかりといえども、御心に叶わなかったので、また遺竜を召して言う「汝、親の遺言というから、朕は無理に経を写させなかった。ただし、八巻の題目だけは勅命に随え」といわれた。

何度も辞退すると、王は瞋って、「汝が父というも我が臣である。親の不孝を恐れて題目を書かなければ、違勅の罪となる」と勅定度々重かりしかば、不孝はさることなれども、当座の責めをのがれがたかりしかば、法華経の外題を書いて王へ上げ、宅に帰って父のはかに向かって血の涙を流していうには、「天子の責め重きによって、亡き父の遺言をたがえて、既に法華経の外題を書いてしまいました。不孝の責めは免れがたいです」と歎いて、三日の間、墓を離れず、食を断ち、既に命に及んだ。


 三日めの寅の時には、すでに死んだようになり夢を見ているようでした。虚空を見れば、天人が一人おられました。帝釈を絵に描いたようでした。無量の眷属が天地に充満していました。ここに竜問うて言う「あなたはどんな人ですか」。答えて云わく「おまえは知らないのか。我はこれ父の烏竜である。我、人間であった時、外典に執着し、仏法をかたきとし、ことに法華経を敵としたために、無間地獄に堕ちた。日々に舌をぬかれること数百度、あるいは死んだり、あるいは生きたりした。天を仰ぎ、地に伏してなげいたけれども、(願いが)叶うことはなかった。人間(世界)へ告げようと思っても方法がない。おまえが、我が子として遺言であるので法華経を書写しないと言ったので、その言葉が炎と成って我が身を身を責め、剣と成って天から雨のように降ってきた。おまえの不孝は極まりなかったけれども、我が遺言を違えないためであるから、自業自得の結果で、うらむことはできないと思っていたところに、金色の仏が一体、無間地獄に出現して、『たとえ、世界に満つるほどの善を断じた諸の衆生も、一たび法華経を聞かば、決定して菩提を成ずる』という。この仏、無間地獄に入られると、大水を大火にかけたように。少し苦しみがやんだので、わたしは合掌して仏に問うて『いかなる仏様ですか』と聞けば、仏答えて『我は、これ汝が子息・遺竜が只今書くところの法華経の題目六十四字の内の妙の一字である』と言う。八巻の題目は八八六十四の仏が、六十四の満月となられたので、無間地獄の大闇は即ち大明となった上、無間地獄は、『当位は即ち妙にして本位を改めず』といって、常寂光の都と成った。我および罪人は、皆、蓮の上の仏と成って、只今都率の内院へ上り参るのであるが、まず汝(おまえ)に告げるのである」と云々。
 遺竜云わく「わたしの手が書いたものが、どうして父君をたすけられたのでしょうか。しかもわたしが心から書いたものではありません。いったいどうしてですか」といえば、父答えて云わく「おまえは思慮が足りない。おまえの手はわたしの手である。おまえの身は我が身である。おまえが書いた字はわたしが書いた字である。おまえが心に信ぜじていなくても、手で書く故に、既にたすかったのだ。譬えば、小児の火を放つに、心で思っていなくても、物を焼くようなものである。法華経もまたそれと同じである。ことのほかに信じたならば、必ず仏になる。またその義を知って謗ずることがあってはならない。ただし在家のことであるから、言ったことはとりわけ大罪であるけれども、懺悔はしやすいであろう」と言いました。
 (遺竜は)このことを大王に申しあげました。大王が言うには「我が願いは、既にしるし有り」とて、遺竜いよいよ朝恩を蒙り、国またこぞってこの御経(法華経)を仰ぎ奉る。
 ところが、故五郎殿と入道殿とは、尼御前の父であり、子である。尼御前は彼の入道殿のむすめであります。今こそ入道殿は都率の内院へ参られたでありましょう。この由を伯耆殿から、読み聞かせてさし上げなさい。事々そうそうにて(怱々の事であるから)、くわしく申しあげません。恐々謹言。
  十一月十五日    日蓮 花押
 上野尼ごぜん御返事