御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御輿振御書 1264頁 新版1652頁

(236)

御輿振(みこしぶり)御書

 文永6年(ʼ69)3月1日 48歳 三位房

 御文ならびに御輿振りの日記を頂きました。悦んでおります。
 中堂が炎上したとのこと、その意義があるのであろう。山門の破滅の時が来ているのかもしれない。そういうことだ。これらも、その意味がないわけではない。天竺には祇園精舎・鶏頭摩寺、漢土には天台山、正像二千年の間にいずれも滅尽した。今、末法に当たって日本国だけに比叡山が有る。三千大千世界の中にただこの処のみ有る。必ず、悪魔がこの一所に嫉(ねた)みを留めるであろう。小乗・権教の輩もこれを妬むであろう。したがって、禅僧・律僧・念仏者は、王臣にこれを訴え、三千人の大衆は我が山の破滅の根源とも知らず、師檀共に破国・破仏の因縁に迷っている。
 ただたのむところは、妙法蓮華経第七の巻の「後の五百歳、閻浮提に広宣流布して」の文である。また伝教大師の「正像やや過ぎ去って、末法が非常に近くになっている。法華一乗の機、今正しくこれその時なり」の釈である。滅するのは生じるため、下るのは登るためである。山門が繁昌するために、このような留難が起きるのであろう。事々、紙面に尽くし難い。早々にお会いしたい。謹言。
  三月一日    日蓮 花押
 御返事

 

<語彙>

御輿振の日記:御輿とは本来御輿を振って練り歩くことをいうが、僧徒がが御輿を担いで入京し、朝廷に強訴することを言った。比叡山延暦寺の僧徒が日吉(ひえ)神社の御輿を担いで朝廷に強訴した事件を日記にしたものと思われる。

<講義>

比叡山の仏法が滅亡し、叡山が滅びることを表しているとされ、「滅するは生ぜんがため、下るは登らんがためなり」と言われています。この出来事が末法で正法が世界にひろまっていく前兆であるとされています。

京都に留学中だった三位房(さんみぼう)に与えた御書とされてきましたが、三位房以外の在家の信徒に与えられたとも考えられています。

                      

  •