御書大好き!!

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御義口伝 信解品 第六 「世尊大恩」の事 727頁  新1014頁

第六 「世尊大恩(世尊は大恩まします)」の事

【ここは、四大声聞のひとりである摩訶迦葉が仏の大恩を賛嘆しているところである。

「世尊は大恩まします。希有の事を以って、憐みん教化してわれらを利益したもう、無量億劫にも誰か能(よ)く報ずる者あらん」と。】


  御義口伝に云わく、「世尊」とは釈尊、「大恩」とは南無妙法蓮華経なり。釈尊の大恩を報ぜんと思わば、法華経を受持すべきである。これ即ち釈尊の御恩を報じ奉ることになる。大恩を題目ということは、次下に「以希有事(希有(けう)の事(じ)をもって)」と説く。「希有事」とは、題目のことだからである。この大恩の妙法蓮華経を四十余年の間、秘して説かずに、最後の八箇年に大恩を説いたのである。文句の一に云わく「法王、運を啓(ひら)く」。「運」とは、大恩の妙法蓮華経のことである。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉って、日本国の一切衆生を助けようと思っているのは、あに「世尊大恩」にあらずや(世尊が大恩をほどこす姿ではないか)。


  章安大師、十種の恩を挙げてはこう分析している。

第一には慈悲もて物に逗(とう)する(とどまる)恩、

第二には最初に下種する恩、

第三には中間に随逐(ずいちく)する恩、

第四には徳を隠(かく)し拙(つたな)きを示す恩、

第五には鹿苑(ろくおん)に小を施(ほどこ)す恩、

第六には小(小乗教)を恥(は)じ大(大乗教)を慕(した)わしむる恩、

第七には家業を領知せしむる恩、

第八には父子決定の恩、

第九には快く安穏を得しむる恩、

第十には還ってもって他を利する恩なり。

この十恩は即ち衣・座・室の三軌なり云々。


  (法華文句)記の六に云わく「宿萌(しゅくみょう・萌とはきざし・めばえのこと)やや割(さ)けて、なおいまだ敷栄(ふえい)せず(広がり栄えていない)。長遠の恩、何に由ってか報ずべき」。また云わく「注家(注釈家)はただ『物として施を天地に答えず、子として生を父母に謝せず。感報(恩を感じ、恩にむくいること)ここに亡ずるをもってなり』とのみ云えり」。輔正記の六に云わく「『物として施を天地に答えず』とは、謂わく、物は天地に由って生ずといえども、天地の沢を報ぜんと云わず。子もまたかくのごとし」。記の六に云わく「いわんやまた、ただ我が報をして亡ぜしむることのみに縁るをや。この恩は報じ叵し」。輔正記に云わく「『ただ我が報をして亡ぜしむることのみに縁る』とは、意に云わく、ただ如来の声聞等をして報を亡ずるの理を得しむることのみに縁ると。理は謂わく一大涅槃なり」。


  御義口伝に云わく、かくのごとく重々の所釈これ有りといえども、つまるところ、南無妙法蓮華経の下種の大恩ということである。下種の故に影の形に随うがごとく、南無妙法蓮華経のもとに従っていくのである。今、日蓮もかくのごときなり。妙法蓮華経を日本国の一切衆生等に与え授けるのは、まさに釈尊の十恩にあたるのである。
  「十恩は即ち衣・座・室の三軌なり」とは、「第一・第二・第三は「大慈為室(大慈を室となす)」の御恩なり。第四・第五・第六・第七は「柔和忍辱衣(柔和忍辱の衣)」の恩なり。第八・第九・第十は「諸法空為座(諸法空を座となす)」の恩なり。第六の小を恥じ大を慕わしむる恩を、記の六に云わく「故に、頓の後において、便ち小化(阿含経)を垂れ(説き)、弾斥淘汰(だんしゃくとうた)し、槌砧(ついちん)鍛錬す(砧=きぬたの上で槌・つちで打つこと)」。

 

<語句の解説>

衣・座・室の三軌

法師品第十に法華弘経の三軌としてあげられている。

軌とは法則、手本の意味。衣座室とは法報応の三身、空仮中の三諦、身口意の三業なりとある。今日蓮の類い南無妙法蓮華経を唱え奉る者はこの三軌を一念に成就するなり。以下略