御書大好き!!

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御義口伝 宝塔品二十箇の大事 第十二 新1034

第十二 「譬如大風 吹小樹枝(譬えば大風の小樹の枝を吹くがごとし)」の事


  御義口伝に云わく、この偈頌の「如清涼池(清涼の池のごとし)」と「譬如大風(ひにょだいふう)」と「燃大炬火(ねんだいこか=大いなる炬火を燃す)」とは三身(法報応の三身)をあらわしている。

その中に「譬如大風」とは、題目の五字のことである。「吹小樹枝」とは、折伏門のことである(「小樹の枝を吹く」というのは、大風ともいうべき題目によって、小樹の枝のような邪宗教が折伏されるのである。すなわち「法華折伏破権門理」のことをいわれている)。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱えて(折伏して)いるのは、大風の吹くようなものである。

 

<講義より>

法報応の三身について。

如清涼池は「清涼池の蓮華荘厳せるが如し」とあり、功徳あふるる清浄なる仏身、すなわち応身をさします。譬如大風は仏の智慧、働きをあらわすので報身といえます。燃大炬火とは「闇の中に大いなる炬火を燃(とも)せるが如し」とあり、仏の力本質を明かしたもので、法身と拝することもできる。

現在における一切の思想、哲学といえども、南無妙法蓮華経の偉大な哲理と力に対してはとうてい及ぶものではない。もともと「無量義は一法より生ず」といい、「百千枝葉悉(ことごと)く一根に趣(おもむ)く」と説かれているが、その一法あるいは一根こそ南無妙法蓮華経なのである。この題目を根本として、すべての哲学は生かされるものであると知るべきである。