御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝 安楽行品 五箇の大事 第三~第五 新1045頁

第三 「有所難問、不以小乗法答(難問するところ有らば、小乗の法をもって答えず)」等の事
  御義口伝に云わく、対治の時は、権教をもって会通すべからず。「一切種智」とは、南無妙法蓮華経なり。「一切」は万物なり、「種智」は万物の種なり、妙法蓮華経これなり。
  また云わく、「一切種智」とは、我らが一心なり。一心とは万法の総体なり、これを思うべし。

<語句>

一切種智とは三智(一切智、道種智、一切種智)の最上に位する、透徹した仏の智慧で、あらゆることを見通し、また一切衆生の成仏の善根の種ともなる力である。一切とは万物であり、種智とは万物の本源たる南無妙法蓮華経である。

会通とは説明すること、意義を述べる、という意味。

<講義より>

安楽行品に「難問する所あらば小乗の法を以って答えざれ。ただ、大乗を以って、為に解説して、一切種智を得せしめよ」とあり、御義口伝には、次のように仰せである。

謗法を破折することは、権教の低い教えで会通を加えてはならない。

つまり低い哲理、思想ではあらゆる人の疑問を晴らすことはできない。執着を断破することもできない。最高の哲学・思想を有する教えこそが永遠に行き詰まることなく、あらゆる人を救い、あらゆる人の賛同を呼ぶことができるのである。


第四 「無有怖畏 加刀杖等(怖畏し、刀杖を加えらるる等有ることなし)」の事
  御義口伝に云わく、迹化の菩薩に刀杖の難これ有るべからずという経文なり。
  勧持品には、末法の法華の行者に「及加刀杖者(および刀杖を加うる者)」「数々見擯出(しばしば擯出せられん)」とあり。この品にはこれ無し。彼は末法折伏の修行、この品は像法の摂受の修行なるが故なり云々。

<講義より>

安楽行品には像法摂受の修行を明かされている。それに対して、勧持品には末法法華経の行者について書かれているので、日蓮、および日蓮門下に刀杖を加える者がおるということです。

 

第五 「有人、来欲難問者、諸天昼夜(人有り、来って難問せんと欲せば、諸天は昼夜に)」等の事
  御義口伝に云わく、末法において法華を行ずる者をば、諸天の守護これ有るべし。「常為法故(常に法のための故に)」の「法」とは、南無妙法蓮華経これなり。

<講義より>

諸天善神の加護は絶対であるとの文証です。諸天善神とは妙法の働きです。ゆえに南無妙法蓮華経と唱える人の生命に、己心の諸天善神の働きを呼び起こし、内外相応し、ゆうゆうと大宇宙のリズムに合致した生活をしていくことができる、という原理です。