御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

地区、ブロック、小グループで御書を研鑽する

私は婦人部、今は女性部、なので小グループのあり方を前からよく考えてきました。

大白蓮華にある婦人部の御書のとこ読んで、感想も言わんとあとは雑談!あかんやろ。感想たまにいうこともあったけど、最近はあまりなかった。

皆の近況報告はいいけど、一人の人が自分のことをいっぱい話すときはちょっと時間考えて皆が均等に話せるようにしないとだめだな。そんな時はグループ長が仕切っていいと思う。

 

問題はなかなかできない御書の勉強、自分の家に帰ったら皆御書の拝読できてるのかなって心配。

私が50代の時、白ゆり長でしたが、週一回の婦人部のブロック唱題会(30分)のあと、皆自分の御書を持ってきて拝読したことがあった。活動家(総勢4人、ヤング3人シニア1人)みんな喜んで来てくれた。幹部が講義をするわけでもなく、皆で読み合わせして感想をいうんです。楽しい。めっちゃよかったと思う。

あーゆーのをやればいいと思う。大聖人様も皆で集まってお手紙を読むよう言われてる。

講義の準備もいらん、わからんとこはネットで調べられるし、御書好きな人が言い出しっぺになるといい。皆読みたがってるはず、会合減らして何か成果あった?家庭訪問で御書読めるか?

御書は毎日1行でも拝読しなさいと池田先生が言われたけど、できてないでしょ。

どうやったらみんな御書読めるか、幹部はもっと悩まなあかん。

 

 

協議会で御書を勉強するって難しいことでしょうか?

やる気があればできることではないでしょうか。

講義聞くだけより、皆で読み合う方がいいと思う。内容わからんなら、講義録見たらいい。御書持ってこなくていいようにコピーしてあげてもいい。以前グループで私がそれをやってました。拡大版御書を家でコピーしたら字が大きくて見えやすいと喜んでもらえた。

 

座談会で地区部長の御書講義を聞くだけでは感動が伝わらないことが多いです。

すごく調べてきはったなってわかるけど、なんか心に残らないんですよ。なんでやろ。

色々詰め込み過ぎ。最後は池田先生の指導も盛り込んではるけど、そんなん自分で大白読んだらわかるし、もっと違うことで感動させてくれと思う。

座談会の御書、大白蓮華を読むだけだったりする人のときは最悪。時間の無駄。家で読んで来れるし、もっと自分の体験とか盛り込んでほしい。しかも、大白は全部読まんでいいわ。たまに新聞に載ってる講義を持って来て話しはるけど、ええとこ探して読んだらええと思ってはる。まあ、そら読んでない人も多いかもしれんけどね。プラスアルファがいる。感動を伝えてよ。自分が感じたことをプラスするほうがよろしい。

 

なんも心に残らんような、記憶に残らんような御書講義はやめて、短くてもいいから皆が大事な御書を覚えて帰れるくらいの時間を作ってください。

 

私、過去に二人だけあの人の講義また聞きたいって思う人がいます。

一人は女性部先輩、亡くなられたけど。地区座で何回聞けたやろか。一回か二回?思い出せないくらい昔の話。いつもは壮年の御書講義やけど、その方の講義はすごくよかった。皆感動したと思う。

もう一人は地元から出てる府会議員さん。議員になる前、その時は同じ地区やったので地区座で御書講義してもらえた。今は地区が分割されて隣りの地区になったし、無理やけど、議員でなくなったら御書講義しに来てほしい。

そういえば私が学会員になって、まだ父の反対で御本尊をいただけなかったとき、女子学生の時の先輩の講義もよかった。最高!真剣やし、予習していかないと怖いくらいだったけど、御書てすごいなって思わしてくれはった。

 

あと、高山直子さんの人材グループで方便品、寿量品の講義を受けました。それも国公立の女子学生から高山さんの面接で選抜されたメンバーで。こんな御書講義できる人に成長したいと思った。学生の時に御書全編読むことに挑戦して、1年で読み切りました。高山さんにも報告した。卒業して三晶株式会社に入社したと報告したら、題目三唱の三唱かと聞かれた。違うけど「そうです」って答えた(笑)

人材グループを卒業するとき、一人ひとりに言葉をかけていただいた。私は「偉大な信心しなさい」と励ましていただきました。

 

偉大な信心て、なかなか、大変な目標を示していただいて、ずっとそれを思いながら活動してきましたが、どうなんでしょう。私は幹部にはなりたくなかったので、幹部になれと言われなくてよかったよかった。国公立の大学生の私たちに高山さんは「あんたらほっといたら退転するから選んだんや」って言われました。(そうなんや~幹部候補生やで、なーんて言われるよりよかったです)

御書読んだら退転せんですむってほんまですよ。そういう戒めのことばあちこち書いてある。退転したら地獄いくしかない。信心やめたら地獄ですよ。こわいよ~

だから、私みたいなもんが子供4人育てながら、長いこと折伏しても実らず、ずっとブロック担当、白ゆり長とやってきて、40歳で初めて折伏が実って、当時命がけで御本尊を守ろうと思ったことで発迹顕本っていう感じで仏界が開きました。それまでの私とは違う生命を感じました。不思議な境涯でした。私は仏やって実感、ありがたいね。うそみたいやけど、ほんまやわ。ほんまに仏やって感じ。皆さんあります?

 

池田先生は一度仏になったらずーっと永遠に仏だ~って言われたのも、よく覚えています。私にいうてくれはったと思ったから。先生にお聞きしたかったんです。手紙書いて聞こうかなと思ってたときに本部幹部会で言われた。

 

人から聞いてなれるもんではない。自分で命かけて御本尊を守ろうとか弘教しようとかしてる人は仏界の生命が満開に開くんかもしれんね。八歳の竜女状態ですよ。

なんかマジックみたいに自分が仏のなるって。

20歳のときに初めて御本尊を拝んだときも、それはそれで多分私の仏の生命がノックされたと思う。コンコンってドア開きやって。でも、20年の間私はなかなか仏の自覚がなかったですね。それがなんも外見かわってないのに、中身が仏やったわってわかった。悟った。あの体験はすごかった。

 

最近そういう話を小グループでしましたが、私もあるあるって言ってほしかったけど、どうでしょうか。まあ、聞いてもらっただけでもよかったですけど。なかなかそういう体験ってないかもしれんね。私が20年かかったので。