御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

2023年10月度 大白蓮華 座談会御書 報恩抄の一部

今月の御書は報恩抄ですね。この御書は結構長いんですが、37頁もある!その最後から2頁目の終わりあたりから、今回の座談会御書に抜粋されています。

 

日蓮大聖人御書十大部講義の第五巻「報恩抄」、序は池田先生と、今は亡き日達猊下が書かれています。日達猊下の御言葉にも感動しました。

戸田先生が十大部の講義の発刊を決意されて、立正安国論、開目抄上下、観心本尊抄を刊行されたが、それ以後の完成を見ずに逝去され、昭和39年4月2日、七回忌を迎えるにあたり、池田先生は故恩師に報恩の誠を尽くすため、日夜心身を労して、折伏の陣頭に立たれながら、なおかつ故恩師の発刊の遺志を継いで、御書十大部の完成に努められ、報恩抄講義を刊行せられた。誰かこれを読まずしておられようか。もし、読めば必ず師恩を知り、恩を知れば報恩の心が湧くのであると猊下は言われています。ほんとに難しい御書ではありますが、また拝読しなければと、思った次第です。

 

新版:261頁4行目~6行目

日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらわず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし。このこといまだひろまらず。一閻浮提の内に仏の滅後二千二百二十五年が間、一人も唱えず。日蓮一人、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もおしまず唱うるなり。

 

<この部分の少し前にこうあります。現代語で書きます>

問うていうのには、しからば天台大師、伝教大師のいまだ弘通していない正法はあるのか。

答えていうには、ある。

求めていうには、それはいかなるものか。

答えていうには、三つある。末法のために、仏が留め置かれたものである。これは、迦葉や阿難等、馬鳴や竜樹等、天台や伝教等の弘通されなかった正法である。

求めていうには、その形貌(ぎょうみょう=姿形)はいかなるものか。

答えていうには、一つには本門の本尊である。一閻浮提(世界中)の人々は一同に教主釈尊(本門文底の釈尊日蓮大聖人)を本尊となすべきである。

二つには、本門の戒壇である。【会館や各家庭のの御本尊があるところが戒壇でしょう】

三つには本門の題目であり、日本乃至漢土(中国)、月氏(インド)一閻浮提(いちえんぶだい=全世界)において、人ごとに有智無智にかかわりなく、一同に、他事を捨てて南無妙法蓮華経と唱うべきである。このことはいまだ広まらず、一閻浮提の内に釈迦仏の入滅後、二千二百二十五年の間、一人も唱えなかったのである。ただ日蓮ひとりが、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と声も惜しまず唱えたのである。

 

背景と大尉、および講義は大白蓮華に詳しくありますので、省きます。

<大白50頁からの御書講義の範囲は報恩抄の最後の頁ですね。新版御書から載せておきますね。>

例せば、風に随って波の大小あり、薪によって火の高下あり、池に随って蓮の大小あり、雨の大小は竜による。根ふかければ枝しげし、源遠ければ流れながしという、これなり。周の代の七百年は文王の礼孝による。秦の世ほどもなし、始皇の左道なり。 日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。この功徳は、伝教・天台にも超え、竜樹・迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。これひとえに、日蓮が智のかしこきにはあらず、時のしからしむるのみ。春は花さき、秋は菓なる。夏はあたたかに、冬はつめたし。時のしからしむるにあらずや。
 「我滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等にその便りを得しむることなかれ」等云々。

 

研修教材

今日切る、あす切ると言われているうちに、四箇年(足かけ4年)というところで、結局は去ぬる文永十一年太歳甲戌二月の十四日に許されて、同年三月二十六日に鎌倉へ入った。同年四月の八日、平左衛門尉に見参して(対面して)、様々なことを申した中で、「今年は蒙古は一定(必ず)攻めてくるだろう」と言った。同じき五月の十二日にかまくらを出てこの山(身延山)に入った。これはひとえに(ひたすら)父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国の恩を報いるために、体を傷つけられ、命を捨てたのであるが、破れずにこうして生きているのである。また賢人の習わしとして、「三度国を諫めて、用いられなければ山林にまじわれ(人里離れた場所に隠棲せよ)」ということは、定まれるれいなり(古今を通じて変わらないことである)。
 この功徳は、定めて(必ず)上は三宝より下は梵天・帝釈・日月までも御存じだろう。(その功徳によって)父母も故道善房の聖霊も助かるだろう。

 

<以上が研修教材の範囲で、以下はその続きが面白そうだったので、現代語にかえて少し載せておきます。>

 

ただし疑い思うことがある。目連尊者は母を助けようと思ったけれども、母の青提女(しょうだいにょ)は餓鬼道に堕ちてしまった。大覚世尊の御子であるけれども、善星比丘は阿鼻地獄へ堕ちてしまった。これは力のまま救おうと思っても、【相手があまりに極端な謗法では】自業自得の結果となって救い難いのである。
 故道善房は、かわいい弟子だから日蓮を憎いとは思われなかったろうけれども、きわめて臆病であった上、清澄を離れまいと執着した人であった。地頭景信がおそろしといい、提婆・瞿伽利に異ならない悪僧の円智、実城などが上と下にいておどかしていたのを非常におそれていた。もっともかわいいと思うとしごろの弟子等までも捨てたような人であるから、後生はいかがかと疑うしだいである。

ただし、一つの幸いとしては、東条景信と円智・実城とが、先に死去したということは、外からの圧迫が除かれたので、一つの助かりとは思えるが、しかし、彼らは法華経の十羅刹の責めを受けて早く死んだのである。後にすこし信ぜられてありしは、いさかいの後の棒ちぎれなり。昼のともしびなにかせん(どちらも後の祭りで、事が終わってからは役に立たないことの譬え)。その上いかなることあれども、子や弟子などという者は不便と思う者である。故道善房は力なき人でもなかったのに、日蓮がさどの国まで流されたのに一度も訪れては来なかったことは、法華経を信じたということにはならないのである。