第三 「威音王」の事
御義口伝に云わく、「威」とは色法であり、「音」とは心法である。そして「王」とは色心不二を「王」という。
末法に入って南無妙法蓮華経と唱え奉る、これがその「威音王」ということである。
その故は、「音」とは一切権教の題目等であり、「威」とは首題の五字すなわち南無妙法蓮華経のことである。
「王」とは法華の行者(すなわち日蓮大聖人のことである)。法華の題目は獅子の吼うるがごとく、余経は余獣の音のごとくである。「諸経中王(諸経の中の王なり)」の故に「王」というのである。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、「威音王仏」なり云々。
<語句>
威音王とは色心不二をあらわす。威とは他に勝れて威力ある形相をあらわす故に色法である。音とは心の思いを響かして声とあらわす故に心法である。
木絵二像開眼之事(469頁)には「されば意(こころ)が声とあらはる意は心法・声は色法・心より色をあらわす、また、声を聞いて心を知る、色法が心法を顕すなり」と申されている。
王とは諌暁八幡抄(587頁)に「王と申すは黄帝・中央の名なり、天の主・人の主・地の主を王と申す」等とある。これを法に約せば、大宇宙に実在する生命の根源たる心王である。すなわり色心の二法をつかさどる色心不二なる一極の生命、南無妙法蓮華経の意である。