御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

如是我聞事  曾谷入道殿御返事 1057頁 56歳御作

如是我聞とは「是くの如きを我聞きき」とも、「是くの如く、我、聞けり」とも読む。

あらゆる経典の冒頭に必ずこの一句がある。釈迦は自分では著作はしなかったゆえに釈迦入滅後弟子たちが50年にわたる釈迦の説法を思い出し、これを後世に伝えようとして仏典の結集をした。

法華経は弟子の阿難・文殊・金剛手等が如是我聞といい法華経の結集をしている。

 

妙法蓮華経の五字を当世の人たちは単なる名称にすぎないと思っているようだ。しかし、妙法蓮華経は体である。体とは心である。章安大師も「妙法蓮華経というのは文でもなく義でもなく、一経の心である」と釈している。

 

講義の中に六即位について詳しく書かれている。理即・名字即・勧行即・相似即・分真即・究竟即。法華経を修行する菩薩の六種の位のこと。

名字即とは経文を通じてわが身が元々仏であると覚り、一切法皆是仏法であると知る位。観行即とは、修行を通して我が心性の仏を観じて、所観の理と能観の智が相応する位。相似即とは、見思惑・塵沙惑を断じ尽し六根清浄の徳を得る位。

分真即とは、無明惑のうち元品の無明の身を残してそのほかのすべての迷いを断じ尽し、仏性を分々に顕現していく位。究竟即とは、元品の無明を断じて仏性を余すところなく顕現した妙覚位。

このあとの第3章の講義の後半は難しかったのでパスした。自分の頭が固くて文字が入ってこないのを感じる。

第4章に書かれてある例はわかりやすくてよかった。興味深かったのは中国の秦の2代目胡亥と丞相の李斯(りし)と宦官の趙高の話。中国の歴史はおもしろいと思う。

日蓮大聖人は中国の歴史は何を読んで学ばれたのかな。