御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝 法師品十六箇の大事 第八 第九 1028頁

第八 「欲捨諸懈怠 応当聴此経(諸の懈怠を捨てんと欲せば、応当(まさ)にこの経を聴くべし)」の事
  御義口伝に云わく、「諸懈怠」とは、四十余年の方便の経教である。ことごとく皆懈怠の経になる。「此経」とは、(南無妙法蓮華経の)題目である。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱えるのは、これ即ち精進である。「応当聴此経」はこのことである。応に日蓮にこの経を聞きなさいということだ。

 


第九 「不聞法華経 去仏智甚遠(法華経を聞かずんば、仏智を去ること、はなはだ遠し)」の事
  御義口伝に云わく、「不聞」とは、謗法である。成仏の智から遠ざかる。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、仏智開悟の者にして(仏界を湧現して)、成仏の境涯をあらわしていくのである。

 

<感想>

折伏をずっとしてた友達から、その日も意を決して仏法の話をしてたら、「もう信心の話はせんといて」って言われたことがあります。高校の親友ですが、何でも言いたい放題なので、私も「ほな、いつになったら聞いてくれる?」って言ったら、お互い笑ってしまいましたが・・・今でも時々lineで折伏っぽい話をしても、スルーされてます。どういう偏見があるんか、聞いてみたいけどな~。

 

そういえば、何人かに拒絶されて、絶交やって言われたこともあったし、学会の話を話せなくなってしまいました。学会の話を拒むというのは、「仏智を去ること甚だ遠し」成仏の境涯から非常に遠ざかることになる、と。

謗法の人は余程いい行いをしていかないと、結局、福運が次第に尽きてしまい最後は悲劇に終わるという仏法の厳しさがあります。まことに彼女たちの人生を見ていると、悲劇やなって思ったりしますが、自業自得ってとこかしら。残念やわ。