御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

法華経功徳抄 妙蜜上人御消息 1237頁 55歳御作 

私の御書の,この御消息には沢山色んな色で線を引いてあり、講義を読む前から期待していました。以前に読んだときにわからなくて?を付けてるところもありました。今回わかるといいな、と思いながら読みました。(気になるので先にそこを読んだらすぐ納得できました。)「ゆえなく大事の薬を使うことなく病に随うがごとし、」というところ、「やたらと大事な薬を使うことはしないで、病気によって薬を使い分けるようなものである、」と通解されていました。言葉が足りないとわかりづらいことありますよね。今回はすっと腑に落ちました。(1238頁13行目にあります)

 

この妙密上人ご消息の別名を 法華経功徳抄と言います。妙蜜上人は桑が谷に住んでいた方で、本抄から夫婦共に真剣に信心していたことがうかがえます。

結構長いお手紙で難しいことが書かれているなと思いました。上行菩薩のことも出てきます。お手紙に上行菩薩が出てくるのも珍しい方ではないかと思います。

日本の仏教の始まりから大聖人の時代までのことが詳しく書かれています。 仏教の壮大な流れの中で末法上行菩薩が現れて南無妙法蓮華経が弘められるという話があります。自分がそうだと言い切られるのではなくその先陣、先駆けとして法華経の題目を弘めているのであると謙虚に言われているのです。

心に残っている言葉:金(こがね)は焼けば弥(いよいよ)色まさり、剣はとげば弥(いよいよ)利(と)くなる。法華経の功徳はほむれば弥(いよいよ)功徳まさる。二十八品は正しき事はわずかなり。讃むる言こそ多く候へと思食すべし。

この太字にしたところの講義がよかったです。この文は法華経をほめることが大切であるとの例として述べられたものであるが、このことの中に法華経の特質が表れている。二十八品は法華経八巻二十八品である。法華経においては法理を説き示した個所は多くない。迹門十四品の中では方便品第二、本門十四品では寿量品に説かれている程度である。あとはほとんど「讃むる言」である。

序品は説会に来集した大衆の多いことを説き、譬喩品以下では方便品に示される一念三千の法門をもって、永不成仏とされた二乗への授記等が行なわれる。法師品以降は滅後の弘教を勧める箇所であり、湧出品で地湧の菩薩を呼び出して次の寿量品で、久遠実成が示される。その後は法華経をたもつ功徳が述べられ、不軽品で不軽菩薩の実践が説かれた後、神力・嘱累の両品で付嘱が行なわれるのである。薬王品以下は虚空会も終わり、薬王・妙音・観音菩薩等の修行を示しているのみである。法華経二十八品を通観してみると、「正しき事はわずか」であることがわかる。

このことから、由来、法華経には内容がないとか、薬の効能書きのようなものである、というような批判がなされた。その主なものは日本においては国学者である、本居宣長平田篤胤等がそうである。しかし、これは法華経に説かれた教理の深さを知らないところからなされた、故なき批判である。法華経に説かれた「正(まさ)しき事」は量としては少ないが、その内容は爾前経の説くところをはるかに超えたものなのである。

「讚むる言」が多いというのは、所詮、法華経の原理がどれほど深いかを強調するためであるともいえよう。