文永12年(1275年)1月に書かれたものと思われます。
南条時光に与えられた御消息です。別名「報南条氏書」と言われます。
南条兵衛七郎の亡くなったことを惜しまれ、日興上人を遣わして墓参させ、追善供養をしようと述べて、時光の回向を亡き父がどれほど喜ぶだろうかと称賛されています。
春の祝御書
春の祝いはすでに言い古されたことながらめでたい。さては故南条殿は久しい間の交友ではなかったが、種々なことに触れてなつかしき心があったので、大事に思っていたところ、年齢も盛んであったのに亡くなってしまわれたこと、別れを悲しく思ったので、わざわざ鎌倉より、うち下って御墓をば拝見した。それよりのちは、駿河への便りがあれば墓参しようと思っていたが、このたび下ってきたのには人に忍んでここへ来たので、西山の入道殿にも・知られていないくらいで、墓参も及ばず通ってきたことが心にかかっておりました。
その心を遂げるために、この日蓮の弟子を正月の内につかわして御墓前にて自我偈一巻読ませようと思って行かせたのである。御殿の御かたみもないと言って嘆いておられたが、時光殿を止め置かれた事はよろこばしいことである。故殿は木のもと・くさむらのかげ・かよう人もない。仏法を聴聞することもない。いかにさびしいことであろう。それを思いやると涙も止まらない。殿が法華経の行者をうち伴って御墓に向かわれたならば、いかにうれしかるらん・いかにうれしかるらん。(どんなにうれしいことであろう。うれしいことであろう。)