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第三 「身意泰然、快得安穏」の事  新版1008頁

第三 「身意泰然、快得安穏(身意泰然として、快く安穏なることを得たり)」の事
  文句の五に云わく「『従仏』は、これ身の喜びを結するなり。『聞法』は、これ口の喜びを結するなり。『断諸疑悔(諸の疑悔を断ず)』は、これ意の喜びを結するなり」。
  御義口伝に云わく、「身意泰然」とは、煩悩即菩提・生死即涅槃なり。「身」とは、生死即涅槃なり。「意」とは、煩悩即菩提なり。「従仏」とは、日蓮に従う類い等のことなり。「口の喜び」とは、南無妙法蓮華経なり。「意の喜び」とは、無明の惑障無きが故なり。ここをもってこれを思うに、この文は一心三観・一念三千、我らが即身成仏なり。方便の教えは「泰然」にあらず、「安穏」にあらざるなり。「行於険逕、多留難故(険逕を行くに、留難多きが故なり)」の教えなり。

 

<講義より>

われわれは信心して、身意泰然、快得安穏にならなくてはならない。それが信心の目的である。

~略~

年をとったならば、あるいは死んだ場合どうするか等々、考えてみれば留難多き人生である。それに対し、われわれは南無妙法蓮華経と唱えることによって、変毒為薬でき、宿命転換でき、罰即利益に変えていけるのである。これほどの幸せはないではないか。これを確信したとき、その人は、身意泰然、快得安穏の人と言えるのである。すなわち我此土安穏なのである。それを確信するか、しないかが、人生の一切の決定線になる。まことに信心の究極はそれしかないのである。