御書大好き!!

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御義口伝 授記品 第三 全731頁 新1020頁

第三 「捨是身已(しゃぜしんい=この身を捨て已(お)わる)」の事 


  御義口伝に云わく、※この文段より捨・不捨の起こりなり。※

(※大目犍連がその身を捨て終わって、八千、また二百万憶の諸仏世尊を見奉ることができた。すなわち成仏したと説くこの段から捨不捨ということが起こるのである。※)

転捨(仮に捨てること)にして永捨(永久に捨てること)ではない。転捨は本門であり、永捨は迹門である。この身を捨つるは煩悩即菩提・生死即涅槃の旨に背くなり云々。所詮、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、「捨是身已」なり。不惜身命の故なり云々。
  また云わく、「この身を捨(ほどこ)す」と読む時は、法界に五大を捨すなり。捨てるという義ではない。この身を捨てて仏に成るというは、権門の意である。このような爾前権教に執着するこころを捨てることを、「捨是身已」と説かれているのである。この文は一念三千の法門である。「捨是身已」とは、「還って本理の一念三千に帰す」の意味である。妙楽大師の「当に知るべし、身土は一念の三千なり。故に、成道の時、この本理に称(かな)って、一身(心)一念法界に遍し」と釈するのは、この意味である。

 

<講義より>

それぞれの宿業により、大宇宙に還元するという意味である。すなわち有情・非情ともに三世常恒である。地球自体が厳然たる一個の生命といえよう。火炎の地球がさめ、様々な作用を得、現実に、有情・非情の生命を現出した不思議は、当然色心不二の生命体が一切の根本であることは、明確といえよう。生老病死、成住壊空は大自然の摂理なので一切の生命が宇宙に帰することになる。その還元しゆく宇宙に十界のあることを知らねばならない。そこに今世の仏法の絶対必要性が存するわけである。また今世の生命の因が未来の果を決定し、未来の果が即、因となり、次の娑婆世界出生の果をつくりあげているのである。

妙法に帰命するというのは捨てることではなく、ほどこすことである。