第二十三 「久遠」の事
御義口伝に云わく、この品の所詮は「久遠実成」なり。「久遠」とは、はたらかさず、つくろわず、もとのままという義なり。無作の三身なれば初めて成ぜず、これ働かさざるなり。三十二相八十種好を具足せず、これ繕わざるなり。本有常住の仏なれば、本のままなり。これを「久遠」と云うなり。「久遠」とは、南無妙法蓮華経なり。実成、無作と開けたるなり云々。
<私が思うことですが>
久遠とは永遠です。そして宇宙と共に始まりも終わりもなく、無作の三身の仏は、そのままの姿で、仏界の生命は仏界として、ほかの九界の生命と共に存在するのです。その仏界の生命を南無妙法蓮華経というのです。永遠に存在すると言われているのです。私たちの生命も永遠にあるのです。地球がもし滅んでも、どこかの星に自分が生命に刻んだ業によって、その因果に応じた姿でまた誕生するのではないかなと思います。