御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝 神力品 第四 全771頁 新1073頁

第四 「満百千歳(まんひゃくせんざい=百千歳を満たす)」の事


  御義口伝に云わく、「満」とは法界を満たすということである。「百」は百界をあらわし、「千」は千如を意味する。一念三千の哲理を、「満百千歳」と説くのである。一時も、一念も「満百千歳」であって、ともに十種の神力を現ずるのである。十種の神力とは、十界の神力、十界おのおののあらわす不思議な生命の力である。十界の各々の神力は、根本をたどれば一種の南無妙法蓮華経となるのである。

 

 

<講義より>

一瞬の時間に百千歳という長い時間をおさめ、一念に法界すなわち大宇宙をおさめるという、生命の不可思議を示されている。

このような生命の深秘は、仏の深い思索によって、初めて明らかにされるものであるが、我々の日常生活においても、その一分は経験されるところである。例えば、不安や苦悩の状態にある時、時間の経過は極めて緩慢に感じられる。反対に快楽や歓喜の状態にある時は、時間は一瞬に過ぎてしまう。

およそ、時間といい、空間というものは、これらを絶対的基準とする、古典物理学が流布して以来、固定的な揺るがないものと考えられてきた。しかし、本来、時間も空間も、生命現象を考察するための一つの仮定である。したがって、時間も空間も、本質的には、相対的なものであり、一瞬は永遠を含み、永遠は一瞬に凝集される。また大宇宙は一微塵に収まり、一微塵は即大宇宙と等しいのである。

 

三世諸仏総勘文抄(全563頁)にいわく、「本覚のうつつをもって我が心性を糾せば、生ずべき始めもなきがゆえに、死すべき終わりもなし、すでに生死を離れたる心法にあらずや、劫火にも焼けず、水災にも朽ちず、剣刀にも着られず、弓箭にも射られず、芥子のの中に入るれども芥子も広からず、心法も縮まらず、虚空も広からず、心法も狭からず」と。

「わが心性」とは我らの生命である。我々の生命は無始無終であり、永遠不滅の存在である。しかも、それは芥子粒ほどの小さな物体に宿るのも自在であり、大宇宙に充満することも自由である。すなわち、時間、空間ともに超越した不可思議の存在である。

なんと深い偉大な生命哲学ではないか。この不滅の生命の当体が縁に触れて、十界の境涯を表し時々刻々、一瞬一瞬変化してやまない。ある時は怒り、ある時は喜び、ある時は苦しみ、ある時は楽しむ。これが一念三千の法理である。この一念三千の生命を、南妙法蓮華経というのである。

アインシュタイン相対性理論なども、この深遠な生命哲学の一端をようやく解明したにほかならない。科学の進歩が、仏法の正しさを証明しはじめていることは事実であるが、まだ、やっと門口に立ったという処のように思われる。化儀の広宣流布においては、大仏法哲学を身につけた大科学者が出現し、あらゆる分野における学問の進歩、研究が行われていることと信じてやまない。